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インサイド



「カポーティ」

「カポーティ」_f0033713_121557.jpg監督:ベネット・ミラー
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン 、キャサリン・キーナー 、クリフトン・コリンズ・Jr 、クリス・クーパー


 久しぶりに、エンドロールが終わるまで、観客が誰も立たなかった映画を見ました。
 完全にカポーティに引きずられてしまって、見てる間ものすごくしんどかった。
 ノンフィクションノベル「冷血」を書いた、トルーマン・カポーティの「冷血」執筆時を描いた映画。
「ティファニーで朝食を」を執筆し、社交界の頂点にいたカポーティ。得意の話術で人々の心に食い込み、常に人々の中心にいた彼は、ある日新聞でカンザス州で起った裕福な一家殺害事件を目にする。その残虐さに引かれて、カポーティはその事件を小説に書こうとするが。


 彼は小説を書くために、計算づくで犯人達に近づくのだけれど、そのうちの一人、ペリーが自分と同じものを持っていることに気付き、その気持ちは徐々に揺らいでいきます。彼は、カポーティにとって、ある意味双子の兄弟のようなもの。けれどカポーティは彼らを利用しようとしている。相手を自分と同じ人間として考えれば、その時点で客観は失われ、彼が目指すノンフィクションノベルは書けなくなりますし、彼と自分が「同じ人間である」という事を、認めたくない部分もあったのかもしれない。
 しかしそうしながらもペリーに感情移入してゆくカポーティですが、ペリーもまた彼を利用しようとしているのだと知り、ショックを受けるのです。彼がこうしてカポーティに話をするのは、その話を通じて(ペリーはカポーティが小説を既に発表していると思っていた)世間の同情を集めるためであり、再審を求めるためでもある。しかし、彼は確かにカポーティを友人と認め、話をすることを望んでいる。二人が二人とも、相反する感情を持っているのです。ただ、ペリーのほうはそのことに対し苦悩はない。
 こちらが利用しているのか、それとも利用されているのか。
 揺れる気持ちのまま、カポーティは彼らと対話を進めていきます。彼は「小説の名前は?」と尋ねるペリーに向かって、「まだ決めていない」と嘘をついたり、その名前を知ったペリーに向かって「あれは朗読会の主催者が勝手に決めたんだ」と質問をかわすカポーティ。しかしその馬鹿し合いの中で、勝利したのはカポーティでした。彼はペリーから事件の夜の話を聞き、小説はあと少しで完全なものになる。
 けれど死を前にした人間の重さに、そして彼らが死ななければ小説は完成しないことに、カポーティはやがて耐えられなくなっていき、アルコールに溺れていきます。対象を見つめ、その事実を描くことは非常に残酷で、体力のいる仕事です。
 死刑執行を前に、ペリーから電報を受け取ったカポーティは、彼らの元を尋ねます。
「すまない。努力はしたんだが」
「いいさ」
 自らが題材にした小説の主人公達の死を、彼は見届ける。けれど「彼らのために、弁護士を探せなかった」と嘆くカポーティに向かって、恋人は言い放ちます。「自分のためだろ?」と。



 さて。
 カポーティの作品は、お恥ずかしながら「冷血」ぐらいしか読んだことがないのですが、それを置いても、事実を見つめ続け、それを書くことを選択した人間の野心と、その結末を見ることができて、とても面白い作品でした。
 ただ、この話をより深く理解したいと思うのであれば、やはりカポーティの「冷血」を読んだ後のほうがいいかも。初めてノンフィクションというジャンルを切り開いた作品であると同時に、彼のこの事件への執念ともいえるほどの取材と調査、犯人達も含めた、登場人物達への冷静な眼差しには拍手拍手です。何故、彼は「冷血」を書かなければならなかったのか。映画「カポーティ」は、その辺の心情も推し量ることができて、非常に興味深い仕上がりになっていると思います。
登場人物の感情に引きずり込まれるような映画は久々です。
 それだけフィリップ・シーモア・ホフマンが上手いということなのかもしれないけど。
 さすがアカデミー男優賞受賞、ホフマンの演技はさすがです。
 カポーティの天才ゆえの残酷さ、傲慢さ、そして繊細な感情表現。この映画は彼の演技がキモですし、ホフマンがいなければこの映画はこんなに素晴らしいものになっていなかったかも。
 本のタイトル「冷血」とは、犯人たちの事を指していたのか、それともそんな犯人達を被写体としたカポーティのことだったのか。
by azuki-m | 2006-10-21 01:25 | ■映画感想文index
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「私は、断固たる楽天主義者なのです」

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