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インサイド



「アメリカ、家族のいる風景」

「アメリカ、家族のいる風景」_f0033713_04084.jpg

監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:サム・シェパード
出演:サム・シェパード、ジェシカ・ラング、ティム・ロス、ガブリエル・マン、サラ・ポーリー

 ヴィム・ヴェンダース監督作品。なので、けっこう期待して見に行きました。
 今年2回目のカウボーイ作品。
 ヴィム・ヴェンダースといえば、私はどうしても「ベルリン・天使の詩」を思い出してしまう。それくらい、あの作品は私にとって衝撃でしたし、思い出深い作品でした。今でも、見てて涙が滲むくらい。ただ、「ベルリン…」は逆に、彼の作品の中で異色なのかもしれません。さて、そんな私が見た、「アメリカ、家族のいる風景」とは。



 この映画は、唐突に、撮影場から主人公ハワードが逃げ出すシーンから始まります。
何故彼が逃げているのかは分かりませんが、彼は焚き火を前にして、「どうして死ななかったのか」と呟きます。
 もしかすると、突然、何もかもが嫌になったのかもしれません。限界を感じ、彼は30年も音信不通だった母親の元へ帰ります。しかし、この母親、なかなか手強い(苦笑)。最初は長く離れていた息子の顔が分からないし、出迎えに造花を持って現れたり(結局は父親のお墓に供えるためのもの)、息子のゴシップの新聞記事をノートにして保存していたり。息子が居たとしても、彼に対し特に注意を払うわけでもない。30年の時間は、彼女の中で、息子をどこか遠い存在にしてしまったのかもしれません。なんというか、彼女は彼女なりに息子を愛してはいるんだけど、彼が不在だった時間が長すぎて、その不在に慣れてしまったような感じ。それはともかく、彼女は息子のしでかした事を全て知っていて(新聞記事の保存してるくらいですから)、彼の息子(彼女にとっては孫)の存在を彼に告げる。

 それに動揺した男は、息子を探しに行くことを決意するのですが、彼は何故息子を探し出そうとしたのか。
 それはともかく、(いろいろありましたが)、なんとか昔の恋人であるドリーンを探し当て、そしてそれを同時に息子の姿を目の当たりにする。
 しかし、その姿はあまりに自分にそっくりで、彼は衝撃を受けるのです。

「こんな気分になるなんて」
「とても辛い」
 
 何故、彼は息子を探そうと思ったのか。
 息子のアールは当然ながら、拒否反応を起こし、父であるハワードと、そして母親であるドリーンにすら拒絶反応を示してしまう。(息子に対する父親の気持ち、父親に対する息子の気持ちというのは、娘へのものとは少し違うのかもしれませんね)
 息子も既に30歳。若い時は父親の存在を恋しく思い、心にぽっかりとした穴が開いていましたが、長い年月をかけて、彼はそれを修復していった。今更、その穴に再び突き落とされたくはないのです。
 ですが、一方の娘のスカイは逆に彼を探し出します。彼女は父親が誰であるかを最初から知っており、自分と父親との共通点を見出そうとしていました。
「あなたは家を作らないの?」
 壊れた家具に囲まれて、彼女はそう聞きます。

 ですが、ここにきてもまだ、ハワードは正面から物事に向かい合うことを避けているのです。
 息子に拒絶された後、彼はドリーンに復縁を持ちかけますが、今度は彼女にも拒絶されてしまう。
「あなたは今度は私の人生の中に隠れたいのよ」

 それでも、彼が来たことで、ドリーンやアールの中で、少しずつ何かが変化していく。以前のような生活には戻れず、「そこにないもの」を「ないもの」として素通りすることはできなくなった。それには「ハワード・スペンス」という名前がつけられたのです。
 ハワードは結局、自分から進んでではなく、他人の介入によって娘と息子に対面することになるのですが、そうしてようやく、彼らは互いに歩み寄ることができた。その後、ハワードはすぐに自分がいるべき場所:映画の撮影場所に向かいますが、劇中劇の言葉通り、「いつまでも君の心の中にいる」のです。


 人生はやりなおすことができない。
 でも、そこに変化を起こすことはできる。
 さすらいのカウボーイがふらりと立ち寄った場所は、結局、安住の地ではないんだけど。彼らはまた新しい場所に旅立つことができたわけです。


 さて。
 簡単に言ってしまうと、この作品は、2×歳の小娘には早すぎる作品だったようです。
 多分、この作品はある程度人生経験を積んだ、50代以上の人が見るべき作品なんじゃなかろうか、と思いました。「アイズ・ワイド・シャット」を見たとき、友人の母上が、「この映画はね、大学生の小娘なんかには分からないのよ。結婚してね、何年か経たないと分からないわ」なーんて言っていたのを思い出しました。
 スカイやアールの気持ちはなんとなく分かりますが、ハワードの気持ちとなると…。彼が感じていた人生に対する空しさは、ハワードの年齢のものと、20代のものとは明らかに違っているでしょうし。彼は自分の人生を振り返る段階に来ていますが、20代の私はまだ駆け上っている真っ最中なんでしょうね。

 そんなハワード自身は、本当にダメダメな男です。
 ですが、心の底から嫌いになることもできないんですよね。それにしても、サム・シェパードの皺だらけの顔、ごつい手を見るだけで、なんとなくその人の人生を感じることができるというか。
何はともあれ、キャストが本当に素晴らしい。女性陣は本当にグッジョブとしか言いようのない出来ですし、ティム・ロスの不思議な演技も笑えます。

 また、全編通してカントリーミュージック(?)が鳴り響き、ちょっと鳴りすぎかなぁ、と思わない事もないですが、聞いていて面白い。古き良き時代のアメリカ、というか、アメリカ独特の乾いた雰囲気を出すのに一役買っています。

 また、この映画、ふとした瞬間に映される、街の映像とその構図が非常に美しい。こういうのって、ホント、監督のセンスなんだろうなぁ…。
# by azuki-m | 2006-04-24 00:53 | ■映画感想文index

ちょっとした近況報告。

…異動したばかりでなんですが、「ありえないよー!!(大泣)」ってな大問題が発生。
既に逃げ出したい気持ちでいっぱいです。
…どうしたらいいのかしら…。


……まぁ、そんな事はおいておいて。
また面白そうな映画が続々上映されますねー。
「アメリカ、家族のいる風景」だとか、「ブロークンフラワーズ」だとか、「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」だとか、「ぼくを葬る」だとか。(あくまで関西時間…)
(横の写真は「ブロークンフラワーズ」の一場面)
ちょっとした近況報告。_f0033713_159691.jpg

「ブロークンフラワーズ」には、またまたティルダ・スウィントンを見ることができますよ!!
てぃるだー!!
何はともあれ、非常に魅力的な監督の作品が続々と上映されるようなので、今からとっても楽しみです。
そういえば、ハネケの「隠された記憶」も関東では4月29日に公開なのかな。


「ダヴィンチ・コード」にも結構期待しているのですが…(いや、いろんな意味で)。
どうでもいいですが、原作の冒頭、被害者がよりにもよってカラヴァッジオの絵を投げ捨てる(ちょと違う)シーンがありまして、それは作中、唯一(心の中で)大絶叫したシーンでした。
映画でそんなシーン見たら、どうなっちゃうんだ、私。

なんにせよ、公開が待ち遠しい映画ばかりです。

人はこれを現実逃避と呼ぶんでしょうね…
# by azuki-m | 2006-04-20 01:59 | ■映画こぼれ話

「三月のライオン」

「三月のライオン」_f0033713_1283573.jpg監督:矢崎仁司
脚本:宮崎裕史、小野幸生、矢崎仁司
出演:趙方豪、由良宜子、奥村公延、斉藤晶子

 初めて書く邦画の感想文。
 しかしこちらもアップリンクの配給です。
 一時期、見る映画見る映画アップリンクが配給していて、映画の前に何度あのバッテン印を見たことか(笑)

 簡単に言うと、これは兄に本気で恋した妹のお話。




本編紹介文から(この文章がものすごく好きです):
兄と妹がいた。 妹は兄をとても愛していた。 いつか、兄の恋人になりたいと、心に願っていた。 ある日、兄が記憶を失った。 妹は、兄に恋人だと偽り、病院から連れ出した。 記憶喪失の兄は、恋人だという女と一緒に暮らし始めた。 そして、兄は恋人を愛した。 恋人の名はアイス。 氷の季節と花の季節の間に三月がある。 三月は、あらしの季節…

「愛があれば、しちゃいけないことなんて何もない」


 映画は、裸の妹がアイスをなめながら、部屋に一人でいる映像から始まります。その手にはなぜか銃。引き金を引いた後、倒れる妹。…こんな冒頭でしたから、私は、この映画はあまりいい結末になりそうにない、と思ったのですが。(今思えば、あれは一種の「生まれ変わり」を意味する場面だったのかしら)
 二人はもうすぐ壊されるんじゃないか、っていうボロボロのアパートで暮らし始めます。何もない、埃だらけの部屋。ゴミ捨て場から家具を調達し、家に持ち込む二人。まるでママゴトのような生活です。
 妹は、兄がいつ記憶を取り戻すかと心配でたまらない。偶然出会った老夫婦のように、いつまでも一緒にいられたらと望むのです。もし、兄が全てを思い出してしまったらどうなるのか。ですがいろんなきっかけから、兄は徐々に記憶を取り戻していく。
 やがて、兄は兄妹が兄妹として暮らしていた部屋に辿り着く。彼はその部屋で号泣するのです。記憶は戻り、彼は自分が妹を抱いたことを知りますが、時既に遅し。兄もまた、妹を愛するようになっていたのです。
 やがて、妹は兄の子供を生む。



 さて。
 上記のとおり、近親相姦を扱った作品なんですが、全体的に透明感があって、非常に美しい作品。壊れていく建物、散らかった部屋。ここに出てくる建物って、なんだかどれも壊れかけだったり、或いは壊されていたり、古かったりして、完全なものがほとんどありません。壊れかけていく何かは、兄妹の今を象徴したものなのだろうけど。二人のママゴトじみた愛情も、ゆっくりと生々しくなっていき、最後の方は貪るような感じでセックスに雪崩れ込んでいきます。

 それにしても、妹は兄に「アイス」と名乗っているのですが、彼女は常に棒付きアイスの入ったアイスボックスを持ち歩いたり、プレゼントの下着を街のど真ん中でいきなり履き替えてみたり(ホントに嬉しかったんだろうね…)、見知らぬ男とベッドに入ってみたり(兄の服を調達)、その行動が面白い。なんだかものすごく純粋な、子供のような女性です。子供を生んだとき、号泣したのは、嬉しかったからか、悲しかったからか、怖かったからなのか、ちょっとよく分かりませんが。

 「三月のライオン」というタイトルは、ヨーロッパの格言から取ったんだそうですが。この題名を聞いただけで、「見てみようかな」という気分にさせる、とてもセンスのいいタイトルだと、私は思っています(笑)。

 こちらも随分前に見た映画。
ですが、今でも場面場面が思い出せるというか、空虚でありながら、本当に美しく、どこか懐かしさを持った映像に仕上がっている映画。今のところ、邦画の中で、一番好きな作品かも。もう一回見たい…。
 一部では非常に評価されている映画なのですが、いかんせん、知っている人が少ないみたいです…。本当にいい映画なんだけどな。



蛇足ですが。
矢崎監督は、ベルギー王室主催のルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞をこの作品で受賞しているのですが、前年度は、デレク・ジャーマン(以下、DJ)の「エドワードⅡ」が受賞しているそうなのですよね。矢崎監督はDJを非常に尊敬していたらしく、この賞を取って、ものすごく嬉しかったそうです。で、一度DJと仕事をしたかったらしく、文化庁の海外派遣制度を使ってイギリスに留学されたとのこと。ですが、ロンドンに行った直前、DJが他界。
矢崎監督と、DJがタッグを組んだら、どんな作品が出来上がっていたのか。ものすごく残念でしょうないです。
# by azuki-m | 2006-04-17 01:34 | ■映画感想文index

「ラストデイズ」

「ラストデイズ」_f0033713_2231511.jpg監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ガス・ヴァン・サント
出演:マイケル・ピット、ルーカス・ハース、アーシア・アルジェント、ハーモニー・コリン

 ニルヴァーナのカート・コバーンに捧げられた映画。
 ですが、主人公の名前は「ブレイク」となり、映画の中でニルヴァーナの曲は使われていないそうです。…と、いっても、私はニルヴァーナについてほとんど何も知らないのですが。


 さて、どう書くべきか。
 非常に、感想の難しい映画です…。
 なんというか、いろいろな場面をそのまま映し、それを切り貼りし、映画という形にしたような感じです。事実、脚本はたったの11ページだったそうで。
 ニルヴァーナのカート・コバーンに捧げられた映画とありますが、彼の自殺の謎に迫った映画ではありません。なんというか、「ブレイク」の死の間際の二日間を淡々と追っていき、そこに映った映像をそのまま流しているというか。彼の死に理由があったのか、なかったのか、それすらもよく分からず、ただ最後に彼の死体(そして、抜け出していく彼の魂?)がぽんと放り投げだされる。

 映画は、ブレイクが薬のリハビリ施設を脱走し、森をさ迷うシーンから始まります。
 かなり遠いところにカメラが設置されているのか、彼の姿はとても小さい。
 森の中でさまよう彼を見て、なんだか「ポーラX」の森のシーンを思い出しました。撮り方は全然違いますが(なんで思い出したかというと、多分、私があの映画が大好きだからでしょうな:汗)。混乱や、迷路の中にいる(或いは入り込む)主人公を撮るのに、森はいい小道具なようです。
 森の中を横切る河を渡り、彼はようやく「こちら側」に来る(河のこちら側に設置されていたカメラに近づく)。小さかった彼が、ようやく画面にはっきりと映し出されます。それでも彼の全身がようやく画面いっぱいに映ったくらいで、顔までは映してくれません。

 ブレイクの顔を正面からアップで撮ったのは、死ぬ間際の画像くらい。後の映像はどこか遠くからとられたり、後姿だったり、髪で顔が隠れていたり、撮る角度のせいで表情が見えなかったりと、なかなかはっきりと映してくれません。だから、彼がどんな表情をしているのかは、今ひとつよく分からない。
 声はひどく曖昧で、半分夢の中にいるような、虚ろで小さな声で、ほとんど聞き取れませんでした。(字幕さん、ありがとう!)薬の影響かなんなのか、終始ぶつぶつ言ってるんだけど。彼がはっきり喋った(?)のは、歌うときだけじゃなかっただろうか。

 また、一つの映像を別視点で撮ったりと、見ている側としても混乱させられます。どんな意味があって、そんな撮り方をしているのかはちょっとよく分からないのですが、もしかすると、「問題を抱えている人がいるのに助けられない」(ガス・ヴァン・サントの言葉から)周囲の人を切り出して描いているのかもしれません。
 冒頭でも書きましたが、どこまでも淡々とした描き方。「エレファント」の流れを引き継いだ映画ですが、こちらのほうが更に「自然体」に近くなっているというか、なんというか。そのせいか、私の後ろにいた観客さんは寝てましたが(汗)。


 そして、「ブレイク」という人物は、なんだかとても不思議です。
 彼は大成功を収めたロック歌手という設定のようですが、本人はそれを「ただの客観」として捉えている。最初はよかったのかもしれないけれど、次第に自分の置かれている状況に戸惑いを覚えていったのです。
「絶えず誰かが訪れる」
 彼は一人になりたいのに、家にはいつも誰かが訪れる。居候達、電話帳売り、モルモン教の信者、探偵たち。そして、彼の周囲は様々な音が溢れ、気の休まる暇もない。
 そんな彼が逃げ込む場所は温室であったり、楽器であったり。夜中に彼が一人で歌う「Death to Birth」がなんだか悲痛。そして彼は温室で、たった一人で死んでいく。彼が死んだとしても、最期の瞬間に何をしたか、誰もわからない。
 カート・コバーンにインスパイアされて生まれた人物だということですが、リヴァー・フェニックスなど、別の誰かも連想させます。(ガス・ヴァン・サントは親友のリヴァーの死に大きな影響を受けたそうですし)

 人は最後に何を考えるのか。それとも、人が死ぬことに、いつもはっきりした理由があるんだろうかとか。
 人が死ぬということは、こんなにも単純であっけない事なのかもしれません。




 蛇足ですが。
 主役のマイケル・ピットが女装をしているシーンがあるのですが、それがあまりにエロティックでびっくりしました。男性が無理をして女性になろうとしているわけではなく、彼は彼のまま、女性の格好をしているのですよね。男性がぱっと黒いドレスを着る、それが全くグロテスクではなく、ある種の淫靡さを出すことに成功しています。マイケル・ピットは本当に男性的な、いい体格をしていますし、そんな人が女性のドレスを着ることに、違和感がないのもすごいのですが。…いやぁ、こういう、ちょっと倒錯的な映像をさらりと流してくれるガス・ヴァン・サント、グッジョブです。
# by azuki-m | 2006-04-13 02:32 | ■映画感想文index

「クラッシュ」

「クラッシュ」_f0033713_23144225.jpg監督:ポール・ハギス
脚本:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ
出演:ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポジート、ウィリアム・フィクトナー

今年度アカデミー作品賞受賞作品。

 今更ですが、この映画の感想文なんかを。結構前に見たんですが(汗)。
 公開場所を広げるようなので、書いてみました。
 ロスの2日間に、同じ時間、異なった場所で、異なった人々が繰り広げる群像劇。
 登場するのは刑事たち、自動車強盗、地方検事とその妻、TVディレクター、鍵屋とその娘、雑貨屋の主人とその家族…など。

「みんな触れ合いたがってるんだ」

 確かこんな感じだったと思うのですが、そんな台詞から始まるこの映画。
 ロスアンジェルスという特殊な街で、人々は触れ合うことを忘れ、けれどどこかで繋がっていく。この映画の中では、そこに登場する彼らが係わり合い、触れ合い、「クラッシュ」するのは車が発端となっています。
 
 自動車を奪って売りさばくことで、日々の暮らしの糧を得る者、その自動車を奪われることで不安定になり、他者にヒステリックになる地方検事の妻、そんな妻を持て余す夫、自動車の中での悪戯がきっかけで、差別主義の警官に見つかり、屈辱的な扱いを受ける黒人のTVディレクター夫妻、そして自動車の事故がきっかけで、その差別主義の警官に助けられる妻。たまたま奪った自動車に、大量の密入国者が入っていて、彼らを解放してしまう自動車強盗、一方、ヒッチハイクをした自動車強盗の片割れと、彼を乗せた警官。
 それぞれの人種、さまざまな人々が混ざり合い、人々はそれぞれに不安を抱えて生きていく。
 群像劇の常として、そこにいるのは誰もが主役。絶対の善人もいなければ、絶対の悪人もいない。よかれと思ってしたことが、裏目に出てしまうこともある。或いはその逆であることも。
 「天使を見た」と泣くアラブ人の男性と、「おまえが悪いんだ。あの子を早く連れ戻してくれないから」と泣く、黒人警官の母親が印象的でした。どちらも悲嘆にくれながら、前者は希望を見出し、後者はその希望を絶たれてしまう。
 そして、最後に愛を確認するTVディレクター夫妻、子供を亡くさずに済んだ鍵屋の男、早とちりで人を殺してしまった若い警官。若い警官の、なんともいえない、絶望的な表情。誰もが、ちょっとしたきっかけで、自分の物語を喜劇にも悲劇にもしてしまう。


 さて。
 全体として、うまくできた映画だと思います。
 ただ、あまりに綺麗に収まりすぎているところが、私の気にいるところではなかったかな、と思います。群像劇の魅力は、そこに出てくる人々の感情のぶつかり合い、重なり合い、そしてそこから生まれてきたり、逆に何も生み出さない何かです。この映画は、非常によくできた脚本ではあるのですが、逆に言えば、あまりによく「できすぎている」。綺麗に整頓・合理化されすぎていて、次に何が来るのか、多少予想できてしまう。つまり、なんというか、人同士がクラッシュをしたとしても、人物の配置の仕方や設定などから、彼らの演じる役割が読めてしまい、クラッシュの結果が分かってしまうのですよね。
 どこにでもいるような、普通の人々が主役なので、しょうがないのかもしれません。また、この映画が人種問題を扱った社会派映画なので、単純にストーリーを楽しむ作品ではないということがあるのかもしれませんが…。
 前にも書いたと思うのですが、本当にいい映画です。いい映画なんだけどな。ただ、幸運にも人種差別を経験したことのない私には、想像はできても、いまひとつ感情移入できない映画ではありました。泣けるエピソードも結構あるんですが…。
 結局、私にとって、この映画のように綺麗に整理された映画は、それが何を描いているか、何を主題としているか、そのテーマに私自身が感情移入できるか、楽しめるか否かというところなのでしょうね。
 ま、そんな事は置いておいて。

 なんか上でケチをつけていますが、(ちょっと都合のいい展開があったりはしますが)脚本はやはりすごいのです。
 群像劇の魅力のひとつに、彼らの台詞があると思うのですが、この脚本も彼らの台詞一つ一つが素晴らしく、ずしっと重いです。こちらも名言集ができそう。
 そして、異なった人々、場面をうまく繋げた編集技術。ロスの二日間を追い、それぞれの人々がどこで何をしているのかを行く。どこかで泣いている人もいれば、どこかで笑っている人もいる。どこかで生きる人もいれば、どこかで殺される人もいる。そのギャップがなんだか残酷で、リアルでした。
 役者陣も奮闘しています。抑えた演技の中にも、彼らの内に見え隠れするどす黒い感情、そしてそれの突然の発露といった場面を、綺麗に演じていました。個人的には、マット・ディロンが気になりました。多分、彼が出ている作品を見るのはこれが初めてなのかな。

 人種差別、そしてアメリカの抱える問題について。
 ニュース等で「この映画はアメリカが抱える問題そのものだ」ってな言い方をしているのを聞いたのですが、そうなのでしょうか?アメリカだけに限定できる物語なのでしょうか?
 なんにしても、非常に興味深く、映画が持つテーマについて考えさせられる作品。
 前にも言いましたが(3月7日付けブログにて)、「ブロークバック・マウンテン」ではなく、この作品が作品賞を取ったのも頷けます。
 一度ご覧下さい。
# by azuki-m | 2006-04-09 23:20 | ■映画感想文index


「私は、断固たる楽天主義者なのです」

by azuki-m