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カテゴリ:■映画感想文index( 40 )


「ピアニスト」

f0033713_21172599.jpg監督:ミヒャエル・ハネケ
脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、アニー・ジラルド

 一言で言えば、傑作。
 今のところ、私の中ではベスト20には入るであろう作品。



乱暴に要約したストーリー:
エリカ(イザベル・ユペール)はウィーンの音楽大学院教授。父親は入院中で、母親と二人暮らし。母親は彼女にピアノ以外の全てを禁止したが、彼女は自分が一流の音楽家でないことを知っている。性への歪んだ妄想を膨らませるエリカだったが、彼女の前に若く美しいワルター(ブノワ・マジメル)が現れる。彼はエリカが勤める音楽学校の学生となり、彼女への想いを吐露するが…。


 最初の鑑賞時は、ワルターの気持ちも多少分かるような気がしたのですが(「私を殴って、縛ってください」なんていわれたら、誰だって引くよね、とか)、2回目はもう完全にエリカ視点(苦笑)。痛くて痛くて。
 彼女は、(父親を含めた)男性に愛されたことがない(性的な面だけでなく、精神的な面でも)。どちらかといえば、彼女は父親不在の家庭で、母親から「父親」役と「子供」役の二つを求められ(エリカは母親のエスコート役をしたり、彼女の寝室で一緒に寝たり、また生活費は全てエリカが稼いだもの。かと思えば、母親は彼女の鞄の中身をチェックし、上着を着せ掛ける)、彼女自身、自分の本来の場所を模索していたように思います(夜のシーン)。
 
 だから、エリカはいきなり飛び込んできたワルターを最初は拒否し、そして受け入れていく。
 「私を殴って、縛って」と自分に対するSMプレイを詳細に描いた手紙は、それまで異性との交渉を母親に絶たれていたための、セックスへの歪んだ妄想の産物でしかない。確かに、性や性器に対する妄想はかなりのものですが、彼女がSMプレイを本当に望んでいたわけではありません。(だから、いざその場面になったとき、「ぶたないで」と言うわけだし)
 単に、彼女はワルターを試しているように思えました。この男はどこまで自分を愛してくれるのか、どこまで許してくれるのか。
 しかし、エリカの真剣な問いかけも、若いワルターには自分を焦らしているようにしか思えない。その裏にあるものを、彼は考えようともしない。
 
 エリカの中に土足で踏み込んでおきながら、彼はあっさりと彼女を踏み越えていく。彼にとって、結局のところ、エリカは「彼の人生における階段の途中」でしかないのかもしれません。
ひたすらに残酷です。そしてそれを冷徹に見つめる、ハネケの視線。最後のワルターの登場シーン(演奏会場にて)は、あまりにさらっとしすぎていて、最初は誰なのか分かりませんでした。
エリカは去ってゆくワルターを見やり、顔を歪ませ、持っていたナイフを胸に突き立てる。死ぬことはできない。が、彼女の目は外へ向かう扉を見つめている。そして彼女はピアノも母親も捨てて、会場を後にするのです。

 「年上の女が若い男に入れ込んだ挙句、ボロ雑巾みたく捨てられる」的なストーリーは数多くありますが、ここまで徹底して客観的に撮った映画があっただろうか…。涙が出るわけでもなく、ひたすら痛い映画。しかも、その痛みは、ハネケ風に言うなら、「面と向き合いたくないものと対峙」させられた時の痛みでしょうか。
 しかしわずかな希望といえば、エリカが前に歩き出したことでしょうか。最後の、会場から出て通りを歩いていくシーンはものすごくあっさりとしているのですが、それが逆に彼女の強さを感じさせました。取り乱して足をもつれさせることもなく。やや早足で、いつも通り、彼女はしっかりと、堂々と歩いていました。


 何から言っていいのか分からないくらい、素晴らしい映画なのですが…。
 まず、役者の演技がとにかく素晴らしい。
 ハネケ独特の手法だと思うのですが、役者の顔をアップにしたり、彼らの表情を同じカットでずっと撮り続けたりと、まるで内面を抉るような描写が残酷で、すさまじい。そして、それに耐えうる彼らの演技、その表情。ワルターのピアノが鳴っている間の、エリカ(イザベル・ユペール)の落ち着かない表情、絶えず動く眼差し。そのため、見ているこちらとしては二重に痛いのです。役者が上手ければ上手いほど、感情はよりリアルにこちらに伝わってきます。
 
 作中、イザベル・ユペールは全くのノーメイクで撮影に臨んだそうなのですが、素顔がこんなにのっぺりしていたとは知りませんでした(汗)。本当にノーメイク??ブサイクメイクをしてるんじゃなくて?
 また、ブノワ・マジメルも、「王は踊る」くらいしか知らなかったのですが、こんなに上手いとは知りませんでした。(ついでに、こんなにいい男だとも知らなかった)。ハネケの撮り方が上手いんでしょうか?(笑)

 その他、よく分かりませんが、この作品、いろんな伏線やキーポイントがあるような気がします。いくつもの小道具があって、それを読み解く作業も楽しそうです。シューベルトの音楽の解釈って、どうなんでしょう?クラシックは全く詳しくないもので、その辺がちょっとよく分からない。

 原作はオーストリアのノーベル文学賞受賞作家、エルフリーデ・イェリネクの同名の小説。この作品は当初ポルノだなんだと騒がれ、2004年のノーベル文学賞受賞後も、審査員の一人が「あんなポルノ作家に賞を与えるなんて」(イェリネクのその他の作品でも、やはり「ポルノ」と批判されているものがあります)と、審査員を辞任するなど、ニュースに事欠きません。イェリネク自身は、「この作品は、ポルノ以外の全てです」と言っているのですが。私も、この作品を「ポルノ」と括ってしまうのは難しいんじゃないかな、と思います。読んでいる方を息苦しくさせるような緻密な文体は、圧巻です。こちらもオススメ。(ただし、映画とは話の筋がかなり違います。この映画も、あの原作を上手く再構築したなぁ…)


☆2001年カンヌ国際映画祭グランプリ、最優秀主演女優賞、最優秀主演男優賞受賞
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by azuki-m | 2006-02-19 21:22 | ■映画感想文index

「ジャーヘッド」

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監督:サム・メンデス
脚本:ウィリアム・D・ブロイルズ・Jr
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ジェイク・ギレンホール、ピーター・サースガード、ルーカス・ブラック、ジェイミー・フォックス

 見ようかどうか迷っていたのですが、トレイラーにやられて見に行くことになった作品。
 正直期待をしていなかったのですが、ここまでいいとは思わなかった…!
 この映画で、監督は「戦争」自体について、いいとも悪いとも判断をしていません。ただ、「戦争とはこうしたものだ」と淡々と描き、それは最後まで変わりません。作中、特に大きな盛り上がりがあるわけではなく、冷静に映像を撮っていくのです。
 これは、「戦争」に行った若者の物語ですが、今までの戦争映画とは明らかに一線を隔しています。「現実の戦争」とは何か。私達が見ていた「戦争」とはなんだったのか。そして、「戦争」はいったい誰のものか。
 ここに出てくるのは、銃を一発も撃たない戦争。前線にいる兵士たちの緊張と怠惰、そして焦燥が、痛いほど伝わってきます。

乱暴に要約したストーリー:
父と同じ道を歩むため、海軍に志願したアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)。狙撃手としての厳しい訓練を受けた後、彼はイラクに派兵される。イラクのクウェート侵攻をきっかけに、湾岸戦争の始まったのだ。イラクに苦しめられるクウェートを解放することを夢見るスオフォード。しかし、現実の戦争は、彼が思っていたものとは全く違っていた…。

 湾岸戦争が起こった時、私は意味も分からずぼんやりとテレビを眺めていた記憶があるのですが、テレビに映る映像が、なんだか映画みたいだと思った記憶があります。つまり、私はテレビで見た映像を、現実のものとは捉えていなかったというわけで。
テレビで見る戦争と、そこに立った者が経験する戦争。二つの間にははっきりとした違いがあり、前者の時間は常に動いているが、後者の時間は停滞している。

「外の時間は常に動いているんだ」

 カノジョに他の男ができたと落ち込むスオフォードに、同僚が投げつける言葉です。国のために戦っていても、自分達は外の世界から取り残されていく。テレビで放送はされていても、そこに映るのは現実とは程遠い、都合のいいように選択された映像でしかなく、彼ら自身の「戦争」で手一杯な人々は、遠いイラクの事を忘れていく。

 そんな場所に派遣されたスオフォードは、取り残されていくことに強い苛立ちを感じます。派兵はされたものの、アメリカの盟友サウジの油田を守るため、彼らは砂漠の真ん中で待機し、「想像の地雷原を進み、想像の敵を撃つ」日々を繰り返すのです。
 その中で高まっていく、戦争への期待と、銃を撃ちたい、人を殺したいという欲求。「銃なくして、自分はいない」。彼らにとって、銃は自分の半身に近い。そして、狙撃手としての辛い訓練を受け、ここに送り出された、自身の存在意義から来るものだとは思いますが、それを彼らはどこまで本気で受け止めていたのか。そして、「戦争」の意味を、彼らはどこまで分かっていたのか。
 砂漠での長い待機の後、彼らはようやく「戦争」に参加することになりますが、それを聞かされた時の歓声の場面から、彼らはすぐに「戦場」へと放り出されます。爆撃の中、塹壕にも入らず、突っ立ったままのスオフォード。この時の、スオフォード演じるジェイク・ギレンホールの顔が、私はすごく好きです。
 青空の中で降り注ぐ爆撃と悲鳴、飛び散る砂。現実の戦争を目の当たりにし、彼はこれが「戦争」なのだということを知るのです。けれど、彼はそれをありのまま受け入れるしかない。

 そして、戦争は爆撃が降り注ぐだけの、単調なものでもないのです。
 油田が燃えるシーンなどは、不謹慎ではあるのですが、非常に幻想的なシーンで、これも戦争の一部であることが分かります。サイクス(ジェイミー・フォックス)はこの風景を見たいがため、この仕事をしているのだと言います。本当に不謹慎ではありますが、残酷で、美しい場面です。それなのに、その下では油田が燃え、油の雨が降り、ジャーヘッド達の心は軋み、歪んでいく。そして砂の下には、イラク人達の黒こげの死体が埋まっている。

 たくさんの人間が死んでも、「戦争」の終わりはあっけないものです。
 突如としてその終結を告げられたスオフォードは呟きます。「一発も撃たなかった」。
 帰国し、興奮して出迎える人々の中で、彼らジャーヘッドは冷めています。
 空しさが残るのに、それでもまだ彼らは銃の感触を覚えている。「戦争」の記憶は簡単に消えるものではなく、ある種の懐かしさすら伴って、彼はこう言うのです。

「僕らは今も、砂漠にいる」



 映画好きとかいっといて何ですが、サム・メンデス監督の映画はこれが初見。「あんまり私向きじゃないかも・・・」といってダラダラ後回しにしていたのです(汗)。しかし、この話はどれもバランス良く、綺麗にまとまっていると思います。原作は本屋でちらっと見ただけですが、よくぞここまで再構築したといった感じでしょうか。
 また、作中に流れる音楽がカッコイイ。トーマス・ニューマンさん…ノーチェックだったなぁ。その他、湾岸戦争時代の曲とかが流れているようなのですが、そのどれもが場面にあっていておもしろい。特に締めくくりのカニエ・ウエストの「ジーザス・ウォークス」が圧巻。

 私の後ろに座っていたお客さんは、「今までとちょっと違う映画だよね…」と呟いていました。まさにその通り。どこがどう違うのか、うまく説明はできませんが、私もそんな感じです。一種の青春映画ではあるのですが、そう言ってしまうには全体に漂う皮肉っぽさが邪魔をする。苦くも甘くもない。淡々とした青春映画…かな。


 蛇足ですが。この映画、笑う場面じゃないんですが、どうにも笑える場面が多々あって・・・。映画冒頭のスオフォードの訓練場面とか(あんな事も大声で言わなあかんのかとか)、男同士の会話とか行動の際どさとか・・(トイレ入ってる時にドアをあけるなよとか、汚物処理って大変だなぁとか、そのサンタクロースの帽子はどこから調達してきたんだとか、っていうかどこにつけてるんだとか)。映画館で一人、笑いをこらえるのに必死でした。…あんなに笑ってたのは、もしかして私だけでしょうか。おかしいなぁ…(汗)
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by azuki-m | 2006-02-16 23:49 | ■映画感想文index

愛する者よ、列車に乗れ

f0033713_045481.jpg監督:パトリス・シェロー
脚本:ダニエル・トンプソン、パトリス・シェロー、ピエール・トリヴィディク
出演:ジャン=ルイ・トラティニャン、シャルル・ベルリング、ヴァンサン・ペレーズ、パスカル・グレゴリー、シルヴァン・ジャック、オリヴィエ・グルメ


 ようやく、この作品の感想文を書くことができました。
 パトリス・シェローの作品は、「王妃マルゴ」以降すべて好きなのですが、この作品は特に思い入れのある映画です。
 しかしこの作品、今まで見たところ、これ以上はないというくらいばっさり評価が分かれています(笑)
 確かに、はっきり言って、一度見ただけでは何がなんだか分からない(苦笑)。もし一発で分かろうとするなら、事前にこの映画に関する情報を仕入れてからでないと難しい。(ビデオ版なら、裏にある「登場人物関係一覧」を読んでから見ることをオススメします)
 まず、登場人物に対する説明がほとんどない。
 そのくせ、ジャン=バティスト・エムリックの葬儀のために集まる人々の物語なので、登場人物がかなり多い。時々、誰が誰だか判別できなくなったり、誰が喋ってるのかわからなくなることも(笑)
 私にとっては、これ以上はないというくらい、「All is full of love」な映画なのですが。

乱暴に要約したストーリー:
芸術家、ジャン=バティスト・エムリックが亡くなった。葬儀のため、彼を愛する人々は靴と陶器と墓場の街、リモージュ行きの列車に乗る。乗り合わせたのは、甥、その別居中の妻、故人のモトカレたち、最後のカレ、看護士の妻、その娘、友人たち。そして、リモージュには故人の双子の弟が待っていた。ジャン=バティスト・エムリックの死を巡り、結び付けられ、集まった人々だが、その誰もが、人生に困難を抱えていた…。


 端的に言えば、ジャン=バティスト・エムリックの葬儀のために集った人々の群像劇。
 ですが、当然、彼らはそれぞれ自分たちの人生の困難にぶつかっています。
 故人の甥ジャン=マリと別居中の妻クレールはドラッグと縁を切り、夫との復縁を望んでいるし、モトカレの一人だったフランソワは愛と向き合うことを避け、その恋人ルイ(この人も故人のモトカレ)はそんなフランソワの冷静さに落胆させられ、駅で見かけたブリュノ(故人の最後のカレ、フランソワのモトカレ)に一目ぼれし、ブリュノは故人の死と、自分のエイズという病気に打ちのめされている。双子の弟は兄ジャン=バティストに息子ジャン=マリの愛を奪われ、そして全財産も、兄の看護士であったティエリーの娘エロディに譲られてしまう。性転換をし、「女になった」フレデリック(ヴィヴィアンヌ)は、自分の夢が叶わず、そして自分が孤独であるということを知っているが、認めたくない。
 故人をあぁだった、こうだったと言い合い、そしてそれを語ることで、彼の寵愛を得たのは自分だと言い張る人々と、そんな人々を嘲笑うクレール。そこに生まれる苛立ちと怒り。感情は生きている人間の特権であり、その生きている人間を通して、彼らはまた自分たちの人生の道を少しずつ変化させてゆく。列車の中と、葬儀の後の食事では、彼らは故人のことを考えていましたが、ジャン=バティスト・エムリックの家の後半パートからは、彼らはもう故人ではなく、自分自身の生を見ているのです。

「誰にとっても、人生って厄介ね」
 作中、クレールがヴィヴィアンヌに向かって言う言葉です。これが、彼らの全てを表現しているように思います。この言葉の意味を、これほど痛感させられる映画はなかなかないような気もします。

 葬儀が終わり、朝になれば、彼らはまたそれぞれの日常に戻るのです。ただそれも、妻と復縁して歩いて駅まで行くもの、ホテルに恋人たちを残して一人タクシーで帰るもの、妻に去られ、一人ヒッチハイクをして帰ろうとするもの。そして、巨大な家に一人取り残されるもの。一人の死によって繋がった、たくさんの人々の物語は、その葬儀が終わると同時にこうして幕を閉じるのです。

 フランス映画らしく、「愛」に対する拘りは相当なものです。私としては、ジャン=バティストがフランソワに言った、
「僕たちの間にはそれ(愛につきものの困難)がなかった。君にはいつも苛々させられた」
 という言葉がかなり気になったり。フランソワは結局、逃げているだけのような気もします。ブリュノとルイをホテルに残し、一人タクシーで帰りますが、その途中、彼がクレールに声をかけようとする(彼女の前を歩くジャン=マリを見てやめますが)のは、彼は自分と同じ孤独な誰かを探しているように思えました。


 さて。
 冒頭でも述べましたが…この映画、かなり評価が分かれます。
確かに、話も、「編集でカットされたんじゃ(汗)?」と思われる箇所があったり(時間軸がかなりあやふやです。あっちにいた人がこっちにいたり、こっちにいた人があっちにいたり・・・瞬間移動か:汗)、失礼ながら、「本当にこれは正しく訳されてるんだろうか(汗)?」と、字幕に疑いを持ってしまったり(笑)
 しかし、見れば見るほどに味が出てくる映画ではあるのです。
 名言集が作れそうな程充実した会話(字幕に疑いを持ってしまったことは事実ですが:汗)、画面を流れる数々の音楽(特に、墓場で流れるビョークの「All is full of love」とか)、シェロー門下の役者達のかけあいとその演技の素晴らしさ(キャストがありえないぐらい豪華です)、照明の見事な効果。

 脚本は王妃マルゴを手がけたダニエル・トンプソン、パトリス・シェローのコンビ+ピエール・トリヴィディク。王妃マルゴの脚本もよかったんだよね…。

 見た後、「見ないほうがよかった」と思うか、「見てよかった」と思うかは、個人の好みによります。ですが、悪意のない、全てが愛に満ちた映画だと思います。シェローの視線は、どこか優しい。

 蛇足ですが、ヴィヴィアンヌを演じているのは、かのヴァンサン・ペレーズ。
女装して、ついでに胸をちゃんと膨らませるという「体当たり」演技です。彼がハイヒールを履くシーンがあるのですが、その脚線美といったら(ペレーズによると、ちゃんと本人の足らしい…本当に??:汗)。…だから、女である私は、いったいどうしたら(以下略)

※作中の登場人物の名前があやふやで、全部書ききれませんでした。後日調べて、訂正します。

…最近、このちっさいブログにはありえないくらい、カウンタがぐるぐる回っています。
見て下さっている皆様、本当にありがとうございます。(…私が回してるんじゃないだろうな…)
この間言ったことを完遂するべく(2月6日付けブログ参照)、頑張ります…(泣)
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by azuki-m | 2006-02-12 00:50 | ■映画感想文index

バッド・エデュケーション

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監督:ペドロ・アルモドヴァル
脚本:ペドロ・アルモドヴァル
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル 、フェレ・マルチネス 、ハビエル・カマラ 、ルイス・オマール 、ダニエル・ヒメネス・カチョ

 ペドロ・アルモドヴァルの作品。
 まさかこの方の感想文を書くことになろうとは思いませんでした(苦笑)
 アルモドヴァルの作品はですね…私には苦手な作品が多い(苦笑)。フランソワ・オゾンにも言えることですが、彼の作品には毒があるように思います。その毒にあてられて、いつも拒否反応を示してしまうのです。(しかし、この毒のおかげで、はまる人はものすごくはまってしまう監督。)
 そんな中で、私でもなんとか感想文を書けるだろうと思うのが、この「バッド・エデュケーション」と、「トーク・トゥ・ハー」でしょうか。
 うまく説明できないのですが、この映画は、「オール・アバウト・マイマザー」→「トーク・トゥ・ハー」→「バッド・エデュケーション」といった、一連の流れの最後に来る作品というか、アルモドヴァル作品ではおなじみの手法(様式?)が全て詰め込まれた作品なように思います。
 彼自身の経験が多分に織り込まれた、アルモドヴァル自身の自伝的映画とも言える作品。
 もっとも、彼は自分の映画に出る俳優とは寝ないと言っていますが。

乱暴に要約したストーリー:
若くして成功した映画監督・エンリケ(フェレ・マルチネス)は、自作の映画で何を撮るか迷っていた。そんな時、彼は少年時代、同じ寄宿舎で過ごした初恋の少年・イグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)だと名乗る青年が、彼の前に脚本を持って現れる。その脚本は、彼らが寄宿舎で体験した出来事に基づいたものだった。その脚本に惹かれ、映画化したいと思うものの、エンリケはイグナシオのあまりの変わりように違和感を覚える。「きみは誰なんだ?」そんな疑問を抱き、エンリケはイグナシオの故郷へと出向くが、彼はそこで衝撃の事実を知る。


 一応、ミステリー仕立てのストーリーにはなっているのですが、全体的に少しバランスが悪いような感を受けました。過去のストーリー、現在のストーリー、劇中劇のストーリー。この3つは相互に絡み合い、リンクしているのですが、それらすべてを収めるには、時間的に少し難しかったかもしれません。劇中劇のモチーフはアルモドヴァルがよく使う手法なので、見慣れてはいるのですが、今回はその劇中劇がかなり長いパートを占めています。ただそれでも、展開としてはやや速い感じを受けてですね…。エンリケはこの劇中劇に惚れ込み、「自分の映画」として撮っているという設定なので、劇中劇自体の完成度が「?」という感を受けるというか(汗)
 謎解きのパートにあたる現在のストーリーも、ミステリーとしてこの映画を捉えるなら、こちらも少し物足りなさを感じるかもしれません。登場人物はみんなおもしろいので、余計に勿体無いというか…。私としては、現在のフアンとエンリケのストーリー、また二人の対決をもう少し見たかったような気もします。(映画最後の二人のやり取りには興奮したのですが)
 フアン(アンヘル・イグナシオ・サハラ)が「正体が誰なのかわからない」存在なので、エンリケと対峙するのが映画の作中、最後にしか回せないのだとは思いますが。


 なので、私にとって、この映画はストーリーを見るというより映像を見るための映画です。アルモドヴァルの過去の作品にも言えることですが、彼の色彩感覚が私はものすごく好きです。赤や緑、黄色といった原色をざっと画面に浮かべ、その色と色との対比がまた美しい。女優や俳優が着ている服も、たいてい原色の、華やかな服が多いです。また、それを生かすための照明も素晴らしい。どんな場面でも、絵になる映像を撮ってくれる監督だと思います。特に、この映画はどの場面を切り取っても写真になりそうなぐらい、映像がしっかりして、鮮やかで美しい。
 ですから、そんな映像に映える俳優たちも、アルモドヴァルはしっかりと揃えています。

 周囲はガエル・ガルシア・ベルナル一色でしたが、私にはフェレ・マルチネスが収穫でした…。(だからどうしてこう独自路線を行くのか、私は…)「オープン・ユア・アイズ」で見てはいるのですが(「トーク・トゥ・ハー」はカウントに入れず:笑)ここまでいいとは思いませんでした。
 しかし、ガエルが美しいのは前評判通りですね。
 ジャン・ポール・ゴルチェの衣装を着たシーンですが(そういえば、アルモドヴァルとゴルチェはお友達なんだとか。なんだか分かる気がします)、目を疑いました。…いい男というのは、女装しても映えるものなんですかね…(メイクさんグッジョブ)。「愛するものよ、列車に乗れ」で、ヴァンサン・ペレーズが女装した時も目を疑いましたが、それに劣らず美しい…。女として、どうしたらいいんですか、私は。


 蛇足ですが、この映画のチラシ、結構好きです。
 「究極の愛か、欲望か」。映画の内容と合っているかどうかはちょっとよく分からないのですが、デザインも派手でカッコイイ…。
 このチラシにつられて、映画館までふらふらと行ってしまったようなものです(笑)


☆ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞受賞


 …この間、あんな事を言ってしまったために(2月6日付けブログ参照)、後にひけなくなってきた・・・。とりあえず、「バッド・エデュケーション」を急遽アップ。
  次は「エドワードⅡ」か、「愛するものよ、列車に乗れ」か。「クリミナル・ラヴァーズ」というテもある…。いや、オゾンをアップするのであればそれよりも…とか、なんだか予定ばっかりが頭を駆け巡り、前に進みません。…もうちょっとお待ち下さい(泣)
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by azuki-m | 2006-02-08 12:55 | ■映画感想文index

司祭

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監督:アントニア・バード
脚本:ジミー・マクガヴァーン
出演:ライナス・ローチ、トム・ウィルキンソン、ロバート・カーライル、キャシー・タイソン



 ストーリーの構成が素晴らしい。
 さすが、ジミー・マクガヴァーン。彼の脚本による映画はその他にもありますが、この映画が一番好きです。

 ストーリーは、一人教会に座り込む司祭の映像から始まります。彼に何が起こったのか、この時点ではわかりませんが、彼は不意に顔を激情にゆがめ(このときの表情が最高!)、壁にかけられた十字架を取り外し、肩に担いで歩き出します。(このとき鳴り出す音楽がまたまた最高!)
 通りに出ると、子供たちが彼の名前を呼びながらかけよってきます。(司祭は子供にとって、親以上によき理解者であることがあるため)。しかし、司祭さんは全く表情を動かさず、何かに憑かれたように前を見ているだけです。バスから降りた後、十字架を背負いながら坂道を登る彼の映像は、キリストをイメージしたものでしょう。そしてリヴァプールにある、カソリックの本部に辿り着いた彼は、十字架を持ち直し、叫び声を上げながら、司教の館へと突っ込んでいく…。
 ぐしゃりと窓が割れる音がした後、真っ暗な画面に「PRIEST」の文字。…くうう、やってくれます。

乱暴に要約したストーリー:
司教館の窓に突っ込んだ司祭の後任として、若い司祭のグレッグ(ライナス・ローチ)がやってくる。しかし、若く理想主義者なグレッグは、先輩の司祭マシュー(トム・ウィルキンソン)とも、教区の住民ともうまくやっていくことができない。そんなとき、彼は女子高生リサ(クリスティ・トレマルコ)から「父親からレイプされている」という懺悔を聞く。告解の掟を破ることができないため、悩むグレッグ。彼女の父親を直接諫めても、彼は笑うだけで聞く耳を持たない。ストレスの余り、グレッグは司祭館を抜け出しゲイバーへ赴く。彼はゲイだった。そこで知り合ったグラハム(ロバート・カーライル)と、彼は関係を続けるようになるが、やがてそれはあるきっかけで人の知るところとなり…。


 ゲイの司祭が主役ということで、ローマから映画公開中止を求める声があったそうですが(いつものことですね)、それだけには収まらない、純然たる社会派映画。キリスト教や当時のリヴァプールの問題を絡めつつ、100分という範囲で、見事な映画に仕上げています。

 リサから、父親からレイプされていることを懺悔されますが、司祭の掟で、グレッグはそれを他の人に話すことはできません。また、自身の、聖書で禁じられながらも男性と行為をしてしまうことを、彼はとても悩んでいます。
 しかし、既に引退した司祭(窓に突っ込んだ人)から、「司祭をやめろ。愛する人と、幸せになれ」といわれても、彼はそれを拒否する。なぜなら、彼は自分の司祭としての運命を知っているからです。「神がそれを望んでいる」。だから、彼は司祭をやめるわけにはいかないのです。
それでも、彼の苦悩とは別に、リサへの性的虐待は続いています。告解の誓いのため、児童相談所に言うわけにもいかず、彼は自分の無力さと、神への苛立ちを募らせることになります。

「あんたはなんだってできるのに、一人の少女を助けてくれないのか」
「なんとか言ってくれ!」

 しかし、彼が壁にかけられたキリストに泣きながら文句を言い、祈りを捧げる間、リサは父親にレイプされそうになっているところを母親に助けられます。
 彼の願いは神に届いたのか、届かなかったのか。
 グレッグが神に対して言う文句は、キリスト教に関わる人なら、誰しも一度は持つ疑問なんじゃないかな、と思います。ただ、彼はそこまでの状態になったことがなかったんでしょうね。グラハムとの会話の中で、「学校の講義の中で、ワインの中に毒が入っていたらどうするかというのがあった。あの時の自分は、飲み干すと答えた。だが、今は…」と、自身の信仰に対して、迷いを見せています。しかし、それでも彼は自身の信仰を捨てることはできない。

 新聞によってゲイであることを書き立てられ、辺鄙な教区に飛ばされた後も、彼の信仰への態度は変わりません。変わったのは、グラハムへの愛を認めることができるようになったということ。ですが、彼の中でそれは罪であることに変わりはない。聖書で認められていないからです。
そして、彼は「愛が否定される世の中は間違っている」と呻くマシューを笑うのです。「あなたは他人でしかないが、僕は当事者だ」と。この先輩司祭は間違ってはいないのですが、時折偽善的な態度がちらつくことがあり、グレッグはそれを痛烈に皮肉ったわけです。

 マシューと二人で行ったミサも、彼の存在に信徒は驚き、教会を出て行ってしまいます。暴言を投げかける彼らに、グレッグは「罪なき者から石を投げよ」といいますが、彼らは聞く耳を持ちません(ただ、この辺は後から見返すとなんとも…。聖書を説くはずの司祭が真っ先に教えを破ってたら、信徒たちもそんな司祭は信じられないよね:汗)最後の聖体拝領で、グレッグの列には誰も並びませんでした。しかし、虚ろな目をしたリサがゆっくりと立ち上がり、一人彼の前へ歩み、彼の手からキリストの肉を受け取るのです。そして次第に顔を歪めて泣き出し、彼女にしがみつくグレッグ。
 結局、罪は、罪を犯した者しか理解することはできず、その罪を許すこともできないのかもしれませんね。
 二人の抱き合う姿に、最後はただただ涙。ティッシュ一箱使いきるかと思いました…。ご飯食べながら見てたんだけど(汗)


 この映画は、私はゲイというセクシャリティの問題を主軸にはとらえませんでした。どちらかといえば、キリスト教における「司祭」という存在が主軸かな。作中でも、問題になっているのは「彼がゲイである」ということより、「司祭である彼がゲイである」ことの方に重点が置かれている気がします。勿論、当時のイギリス(1990年前半)ではセクション28(同性愛をそれに関する出版などで助長してはならないとする法律)も存在しましたし、同性愛が嫌悪される対象ではあったのですが。

 作中には、グレッグとグラハムのセックスシーンがありますが、女性の監督がとったせいか、私が今まで見た男性同士のラブシーンで、一番セクシーというか、ロマンチックに撮ってあります。かなり濃厚ではありますが、美しいシーン。

 また、脚本家のマクガヴァーンはイギリスでは人気脚本家の一人で、この映画を撮った後、ハリウッドからもお誘いがあったらしいのですが、「飛行機が怖くてアメリカに行けない」のだとか(笑)うーん。見たいんですけど…。マクガヴァーン作どろどろ心理映画を、ぜひともハリウッドで(心理探偵フィッツも真っ青なやつを!)。しかし、やっぱり彼の作品はイギリスならではなのでしょうかね…。

 役者陣も奮闘しています。ロバート・カーライルが出てるのにまずびっくりしました。しかもこんな繊細な役をやってくださるとは。彼とライナス・ローチが絡むシーンも自然でいいんですよー。カーライルはどうも私の中では「フル・モンティ」のイメージが強すぎて困ります(笑)そして、この映画の私的最大の収穫はといえば、トム・ウィルキンソンでしょうか。ハリウッドやいろんな映画に出ているのを見ると嬉しい…。名脇役の一人です。


 蛇足ですが、舞台であるリヴァプールはマクガヴァーンの故郷。そして彼はサッカーチーム「リヴァプール」のファンらしく、その応援歌が映画中に流れてるんだとか…。ほ、ホンマかいな。

 さらにさらに蛇足(汗)
 以前、私の好きな映画を見たいというモト彼の要望にお答えして、この映画を勧めたのですが、感想をどう言っていいのか分からなかったらしい・・・。
 だって……本当に見るとは思わなかったんだもん…。


☆ベルリン映画祭の国際批評家連盟賞受賞。
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by azuki-m | 2006-02-05 04:23 | ■映画感想文index

ロード・オブ・ウォー

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監督: アンドリュー・ニコル
脚本: アンドリュー・ニコル
出演:ニコラス・ケイジ 、イーサン・ホーク 、ブリジット・モイナハン 、ジャレッド・レト

ロード・オブ・ウォーとは直訳すれば「戦争の王」。
戦争の裏側で暗躍する、武器商人を扱った作品。
NHKのドキュメンタリーみたいで、非常に興味深い作品でした。


 しょっぱなの映像が面白いです。
 いかにして銃弾が作られ、使用されるかという過程を、銃弾の視点で描いています。銃弾の製造、点検、発送、『使用』。人の頭に命中する瞬間の、そのリアルさが怖い。
 その最初の映像の中で、箱から銃弾を地面にばさっとばら撒き、それを適当にとって銃にこめるというシーンがあります。たくさんの銃弾の中から適当にとった何発かが人間にあたり、その人の命を奪う。世の中には、どれぐらいの銃と弾が出回ってるんでしょう?そして、そのいくつが、人を殺すために使われているんでしょう?
「戦争で人々を殺すのは、核ではなく、銃だ」
この言葉が、ものすごくリアルです。


乱暴に要約したストーリー:
ユダヤ人と偽ってアメリカで生活する、ウクライナ人のユーリー・オロノフ(ニコラス・ケイジ)は、ある日、マフィアの抗争に巻き込まれ、それがきっかけで武器商人の道を進むことになる。弟のヴィタリー(ジャレッド・レト)も商売に加え、彼は天才的な才能を発揮して武器商人としてのし上がっていくが…


 武器商人、ユーリは自分の才能を自覚し、ありとあらゆる場所に武器を売りさばいていますが、彼も自分のやっていることを、自分の銃が何に使われているかを知らないわけではありません。けれど、彼は武器商人としての自分の才覚を知っているから、仕事をやめようとはしない。
 それでも、どこかでいつも彼は罪悪感を感じているのだと思います。だからこそ彼は、自分を自動車のセールスマンと同格にとらえ、「セールスマンが売った自動車の事故」を引き合いにだし、彼の商品が引き起こす殺人を、ただの結果論として説明しようとするのでしょう。
 弟のヴィタリーは、兄の仕事を手伝いながらも、そんな生活に耐えられず、麻薬に溺れていきます。そしてこれで最後といって兄についていった仕事先、自分たちが売った武器で殺されようとする難民を助けようとして、逆に殺されるのです。彼は兄とは違い、普通の平均感覚を持った、普通の青年でした。ユーリ自身が言うように、弟を商売に加えたのは、彼の最大の過ちだったのです。

 しかし、彼が武器商人として天賦の才を持っていることに変わりはありません。法の目をかいくぐり、戦争の匂いをかぎつけ、ありとあらゆる場所に武器を売りつけに世界を駆け回ります。
 実際、こうした武器商人たちを直接取り締まる国際的に統一した法律はないそうなのですが、そこに現れるのがインターポールのヴァレンタイン刑事。この刑事が、まるで「レ・ミゼラブル」のジャベール刑事みたいにしつこい(職務に忠実だといえ)。
 彼は最後にユーリを追い詰め、逮捕しますが、そこでヴァレンタインは自分の属す世界の無力さを知るのです。

「私の一番の顧客は、あんたがたの大統領だ」

 そうして結局、釈放されるユーリ。
 それでも、彼はそのことに対し、何の感情も持っていません。また、いつもどおり、客に武器を売りに行く毎日が再開されるだけです。


 映画としての作りがどうというより、私にとってはとにかく考えさせられる映画でした。
 日本の武器輸入量はどれぐらいなんだろう、とか。
 税金がどれだけそれに費やされてるんだろう、とか。
 非常に間接的ではあるけれど、私もまた彼ら武器商人の「お客さん」なんだろうなぁ、とか。
 監督によると、実在の武器商人達の話をもとに、この映画を作ったとのこと。
 映画を見るだけなら面白いのですが、よくよく考えてみると、ものすごく怖い話です。


 アメリカからの資本が全く集まらなかったというのも頷ける映画。
 面白いかどうかは、個人の好みによると思いますが、見て損はない映画です。


……それにしても。
映画本体とは全然関係ないですが。
ニコラス・ケイジとジャレット・レトが兄弟ってのは、ちょっと無理があるような気がしないでもない…。いや、それを言い出したら、ウクライナ人って設定がそもそも…。(すみません、エラソウな事言ってなんですが、ウクライナ人って言ったらサッカーのシェフチェンコ、フィギュアスケートのリアシェンコ、ユーシェンコ大統領くらいしか知りません)
私、30seconds to Marsが結構好きだったりするんですが。…そっちの活動もがんばって下さい、レト氏。
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by azuki-m | 2006-02-03 02:27 | ■映画感想文index

ダウン・イン・ザ・バレー

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監督:デヴィッド・ジェイコブソン
脚本:デヴィッド・ジェイコブソン
出演:エドワード・ノートン 、エヴァン・レイチェル・ウッド 、デヴィッド・モース 、ロリー・カルキン

 

 舞台は、ロサンゼルス近郊の、サンフェルナンド・バレー。
 まず、この舞台の特殊さに呑まれました。
 こういったらなんですが、私の住んでる町にちょっと雰囲気が似てるかも。つまり、それだけ、「郊外」っぽさが出てるということで。「郊外」っていうのは、旅行とかしてても思うことですが、各国、どこかちょっと似てる気がします。大都市に近いと、便利ではあるんだけど、それだけ街に統一感がないというか。
 張り巡らされた交通網(映画の中では飛行機と12本もあるフリーウェイ)、古くからある建物と建設中の住宅、その間にところどころ広がる草原。のどかで乾いた空気と、単調で何も起こらなさそうな日常。 その上、エドワード・ノートン扮するカウボーイが画面を彷徨い、もう、何がなんだか分からないというか、境界がものすごく曖昧な映像になっています。
 映画は、そんな街(舞台)にふらふらと降りてきたカウボーイと、街の象徴であるフリーウェイに唾を吐きかける姉弟の映像から始まります。

乱暴に要約したストーリー:
17歳のトーヴ(エヴァン・レイチェル・ウッド)は刑務官の父ウェイド(デヴィッド・モース)と弟のロニー(ローリー・カルキン)の3人暮らし。厳しい父や、弟の世話に、彼女は飽き飽きしています。そんな中、ビーチに行く途中、ガソリンスタンドで会った、カウボーイの格好をしたハーレン(エドワード・ノートン)に出会う。彼らは惹かれあい、恋に落ちるが、ハーレンの奇行を見てウェイドは交際に猛反対。ハーレンは、そんな頑固一徹なウェイドから、トーヴとロニーを逃がすことが、自分の使命だと思うようになるが…


  
 単調な日常の中に、突如として飛び込んできたカウボーイは、彼女にとって全く異質なものです。ただ、彼女は、若さゆえか、それに好奇心と魅力を感じる。彼女は彼を深く愛するようになりますが、彼女の父親にとって、カウボーイはとてつもなく胡散臭く見えます。そりゃ、そうでしょう。あからさまにアヤシゲなカウボーイ。現実に適応している大人なら、誰だって警戒します。しかも、彼女の父は刑務官です。犯罪者を日常的に見ているため、ハーレンの嘘を嗅ぎ取り、警戒するのです。

 ハーレンの行動は、最初のうちは純粋に見えます。トーヴを喜ばせようと牧場につれて行き、白馬に乗っけてみたり、弟のロニーを連れ出しては銃の撃ち方を教えてみたり。
 「君達はやりたいと思うことをなんでもできるんだよ」。
 彼は家でも学校でも居場所を見出せないロニーにも、憧れの人となります。
 しかし、話が進むにつれ、彼も曖昧になっていきます。トーヴを愛するがゆえ、彼女を連れ出そうとするのですが、拒絶され、彼女を誤って撃ってしまいます。しかし、その後の彼女の体に取り縋るシーンまでは、彼女を愛する男の行動として分からなくもないのですが(撃ったのは不幸な事故として、映画ではよくある場面ですし)、彼女の父親が帰ってくるや否や、病院に電話もせずに逃げ出してしまいます。しかもその後、自分で自分の足を撃ち、「ウェイドが撃ったんだ」と嘘をついて、ロニーを連れ出してしまう始末。
 ですが、それでも、彼は絶対の悪人ではないのです。絶対の善人でもないのですが。

 このカウボーイが、なぜカウボーイの格好をして、谷に現れたのかは、少しよく分かりません。が、(私にとっては)「孤独と放浪」をイメージさせる「カウボーイ」という異物が、突如としてトーヴ達の前に現れる設定は面白いと思いました。(また、「カウボーイ」の格好は、どこかドンキホーテを髣髴とさせます。)
 ともかく、彼の存在は一種のファンタジーですね。都会における、御伽噺というか。彼が適応できる場所は、劇中現れる、西部劇の撮影現場の中にしかないのです。
 ですが、異物である以上、彼は排除されなければならず、映画の最後で、彼は「排除」の最悪のパターンである、「死」を迎えます。しかし、そんな異物でも、ロニーはその死体に縋り付いて泣くのです。その形が少し歪んではいましたが、彼はロニーにとってヒーローでした。

 この作品はカンヌの「ある視点部門」に出品された作品だそうで、私にとっては「さもありなん」ってな感じでした(笑)
 この部門の作品は、私にとっては、難解なことが多くて(笑)。解釈に、いつも困ってしまうのです。(友人なんかは、「『ある視点からみれば素晴らしい作品』が出品される部門」と言っておりました:笑)
 なので、やはり、評価の分かれる映画だとは思います。
 私はエドワード・ノートン見たさに前売り買ってまで行きましたが、私の前の席の人は完全に寝てました(笑)。
 役者はみんな素晴らしいです。エヴァン・レイチェル・ウッドは私にとって嬉しい誤算でした。しかも、本当に美しい。10代の女の子の、成長途中な未熟で危うい美しさ。カメラさんグッジョブ!
 この後、miumiuの2005年ワールド・キャンペーンモデルに選ばれたそうですが、分かる気もします。miumiuの、あの少しレトロ感漂う広告とか、彼女の雰囲気にぴったり。これからどうなるのか、成長が楽しみです。
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by azuki-m | 2006-01-30 23:03 | ■映画感想文index

プライドと偏見

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監督:ジョー・ライト
原作: ジェーン・オースティン
脚本:デボラ・モガー
出演: キーラ・ナイトレイ 、マシュー・マクファディン 、ドナルド・サザーランド 、ブレンダ・ブレシン

 先日公開されたばかりですが、行って参りました、「プライドと偏見」。
 (っていうか、この感想文は非公開のまま、何日放置されていたのか)
 やはり、前評判どおり、映像が美しい。
 ただ、その美しさも、自然や貴族の邸宅などとても雄大で美しいのですが、映像的には爽やかな感じを受けます。胃もたれするような重厚さではなく、さらりとお洒落に流していくような感じでしょうか。
 貴族の邸宅を撮るのにも、どこかのイタリア人監督のように(笑)、「これでもか!これでもか!」て程、その美術を見せ付けたりはしません。美しい場面も重たくなりすぎないようにさらっと流し、中心となるのは、活気溢れる彼女の決して大きくも美しくもない家、舞踏会、中産階級の娘たち。
 こうした映像の初々しさ、爽やかさは、キーラ・ナイトレイによるところも大きいのでしょうね。彼女の魅力を改めて知った感じがします。写真で見るようなイギリスの美しい片田舎、そこで生きる化粧気のない、けれど魅力的な若いお嬢さんを、キーラは見事に演じていました。

 さて、ストーリーのほうですが。
 原作はあまり知らないのですが、かなり端折られていた感があります(笑)。文学を映画にするのですから、どうしようもないですね。ですが、(かなり唐突に思える展開があったりはしますが)、エリザベスとダーシーの関係に焦点を絞り、素敵な恋愛映画に仕上げています。

 エリザベスとダーシー。
出会ったその時から、お互いが気になっているのは見てる観客にもすぐに分かるのに、二人は自分たちのプライドと偏見が邪魔をして、中々歩み寄れません。「早くくっついちゃいなさいよ!!」と言ってやりたいほど(笑)。
しかし、ダーシーの方は、自分の恋心をしっかりと自覚しているのです。エリザベスを見る彼の、なんとも不安そうな表情。


 最後はもちろん、ハッピーエンドですが、すれ違う心の様を書く様子、そして二人の心が次第に結びついていく様は、まさしく恋愛映画の王道を行っています。はっきり言って、私がこの映画に感想文をつけようとすると、どう格闘しても平凡で、ありきたりのものになってしまう(苦笑)
 ですがそれくらい話の軸がしっかりとした、古典的恋愛映画です。
 イギリスの美しい風景や、さらっとしてべたつかない恋愛映画を見たい方にはぜひオススメ。

 しかし全然関係ないですが、エリザベスって、若草物語におけるジョーみたいだ…。 
 こうした物語における次女って、性格が決まってくるものなのでしょうか(汗) 

 

蛇足ですが、うちの母が原作の大ファンらしく、私が一人で行ったのを怒っていました。
一緒に行って、娘と熱く語りたかったようです・・・。
・・・いや、いいんだけどね・・・。


さらに蛇足。
この映画が終わった後、私の後ろの席で見ていたお爺ちゃんが、連れのお婆ちゃんに、「いい映画やったなぁ」と大きな声でしみじみ言っていたのですよ。
で、彼らが帰った後、同じく私の後ろに座っていた女子高生らしき女の子がちょっと涙ぐんでいてですね、席に座り込んだままなのです。
一緒に来た友達に「ないてんのー?」とか冷やかされているのですが、そしたらその彼女が、「あのお爺ちゃんの言葉を聞いたらね、なんかきてもて・・・。でも本当にいい映画やったなぁ、と思って」などと言うのですよ。
それを聞いた私も、なんかいいなぁ、と思って。
素敵な会話です。名前も知らない誰かと、映画を共有できた時間。だから映画館って好き。
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by azuki-m | 2006-01-15 18:57 | ■映画感想文index

ベッカムに恋して

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○ベッカムに恋して

監督 グリンダ・チャーダ
脚本 グリンダ・チャーダ 、グルジット・ビンドラ 、ポール・マエダ・バージェス


 …私なら絶対に映画館で言いたくない邦題です(「ネスタに恋して」なら買うんでしょうか、私)。 いや、いいですけど。原題も似たような感じですし。実際、ベッカムに恋して、彼女のストーリーは始まるわけですから。



 なんといっても、キーラ・ナイトレイ、ジョナサン・リース・マイヤーズの存在に驚きました。キーラが若いということは知っていましたが、こんな映画に出るくらい、若かったとは。…他の女の子に混じっても、彼女は美しいですね…。ほっそーい…。勿論、サッカーチームの女の子達全員が美しいのですが。
 そして、ジョニーの「女子サッカーのコーチ役」などという、かつてないほど爽やかな役…。この方はいつも出る映画出る映画、画面をぶち壊して進んで下さるので(いや、いい意味でですよ)、こんな普通の役をしてくれるとかなり驚きました。普通の役もできるじゃないですか。いつも小姑っぽい、主人公の苛め役とか、敵役とか、どうも冷たく見える外見のせいか、私が見る映画ではそんな役ばかりをされていましたので。しかしこんな美形な監督がいて、女子サッカーチーム内でチームワークが乱れないか心配です。

 ストーリーは、ロンドンに住む、インド系女子高生の主人公が、周囲の反対、自身の葛藤を乗り越え、女子サッカーの選手という夢に突き進んでいくという、青春映画。(途中、ジョニー演じるコーチとの恋愛も含む)

 しかし…母親恐るべし(笑)。どの世界でも、母親ってのは強い。しかも、主人公・ジェスはインドの家庭。女は料理と結婚が全てです。イスラムの男なんて選ぼうものなら、首切りの刑です(笑)。
 しかも、ジェスの姉さんが婚約するとのことで、周囲は大騒動中。
 しかし、ジェスは女子サッカーチームのジュールズ(キーラ)に誘われ、女子サッカーチームの入団テストに合格。彼女は親に内緒でサッカーを続けますが、やっぱりバレてしまいます。姉さんのような結婚を望む周囲は、彼女の気持ちなんか分からず、暴走する始末。
 それでも、それは彼らなりに、ジェスを守りたいだけなんですよね。
 ジェールズの母親も、娘が女の子らしいものに興味がないと不満タラタラ。
 彼女のために、可愛い下着を必死で選ぶ、母親の努力…。しかし彼女もまた思い込みが激しい方なようで、ジョニー演じる監督を巡って、ジェスとジュールズの会話を立ち聞きしし、何をどう勘違いしたのか、ジュールズがジェスに恋し、失恋したのだと思い込むのです(笑)。勿論、最後にはその誤解は解けますが、そのときの母親の台詞が最高でした。

「もし私レズビアンだったらどうなのよ!」と食って掛かるジュールズに、
「いいえ、全然大丈夫よ。これでも、昔はナブラチロワのファンだったんだから」
…可愛い母親だ…。

 姉の式は着々と進んでいきますが、その日は大事な決勝戦。スカウトの人もきてるのに…みんなは大丈夫かしら…ずっと悲しげな顔を見せる娘に対し、父親も「行って、姉の式に最高の笑顔を見せることができるなら」と出場を認めます。そうして出た決勝戦、彼女は見事スカウトを獲得!米国への留学を決めます。
 最後はベッカムもちょい出演し(勿論、ヴィクトリア付)、見事な大団円です。


 とにかく、皆が生き生きして、見ていて楽しいです。
 全編を通して、ぽっぷそんぐが鳴り響き、それを聞いているだけでも面白い。
 インドの結婚式がどんなものかも分かります(笑)。
 イギリス本国で、大ヒットを記録したというのも頷ける、良質の青春映画。
 サッカー好きな私は、別の意味でも興奮でした…。

 見終わった後、あったかい気持ちにさせてくれる一品です。
 
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by azuki-m | 2006-01-11 01:16 | ■映画感想文index

ヴィトゲンシュタイン

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監督:デレク・ジャーマン
脚本: デレク・ジャーマン 、テリー・イーグルトン


オーストリアの哲学者、ヴィトゲンシュタインを扱った作品。

 えー…ヴィトゲンシュタインについて乱暴に説明すると、20世紀、大きな影響力を持った哲学者で、アリストテレス以来の三段論法を根本から変えた人物。(ホントに乱暴ですが…)
 彼の著作「論理哲学論考」に無謀にも挑戦したことがありますが、私にはさっぱり意味が分からず、5頁くらいで放り投げました(汗)しかし後で思いましたが、あれは、哲学書として読むより、詩か何かとして読めば、案外面白いかったのかも。
 その人生はかなり劇的です。彼が生まれ育ったのは、19世紀末のウィーン。(…1900年前後のウィーンって、確か、クリムト、フロイト、マーラーなど、これだけでも映画を作れそうな人々がうようよいたような気がします。そして、あのヒトラーも!ヒトラーとヴィトゲンシュタインの人生は、何故か不思議にリンクしている時があって、彼の人生とヒトラーの人生を比較した記載を時折見かけます。)ユダヤ人の大富豪の息子に生まれましたが、その遺産を相続しても、全財産を自分から投げ捨ててみたり、戦争に行ってみたり、捕虜になってみたり、教師になってみたり、ケンブリッジに行ってみたり、ロシア移住を計画して失敗してみたり、なんだかものすごく忙しい人。おまけに、兄が4人いた兄の内、3人が自殺という、特殊な家庭事情の持ち主。
 どこかの記事で「芸術家たちの想像力をかきたてる」哲学者と書かれていましたが、まさにそんな感じです。彼の哲学も、生き方も、そしてその複雑な性格も。
 だからこそ、デレク・ジャーマンも彼を描こうと思ったのでしょうし。特にデレクは、ヴィトゲンシュタインのゲイとしての側面にも、強く惹かれたようです。


 ま、そんなことは置いておいて。
 肝心の映画について。
 映画は少年時代のヴィトゲンシュタインが奇抜な衣装をまとい、シンバルみたいな音がバーンと鳴った後、いきなり、「こんにちは。僕はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインです。神童です」と言ってくれるところから始まります。
 この子役が、また可愛らしい。デレク・ジャーマンの作品には、「どこからこんな可愛い子を見つけてきたのか」と目を見張るような、可愛い少年が出ることが多いです。ちょっと眼福。
 で、この少年時代のヴィトゲンシュタインは、その後も登場し、「緑色の火星人」(突如として現れる…)と共に彼の哲学を解説するなど、無知な私にヴィトゲンシュタインの人生を説明して下さいました。感謝感謝。
 天才的な頭脳を持ったヴィトゲンシュタインでしたが、ケンブリッジで哲学を始めた後、彼はすぐに大学を飛び出し、第一次世界大戦に志願兵として参加します。どうにもケンブリッジが合わなかったようです。しかしその後、彼の出版した「論理哲学論考」は、当時大きな影響力を持っていた数学者ラッセルの序文の力もあって、反響を呼び、彼は再度ケンブリッジに迎えられます。
 …が、ひねくれもののヴィトゲンシュタインは、やはりケンブリッジで上手くやっていけません。大事な講義も嫌がる始末(笑)。ベッドにこもって「出たくない」と駄々をこねるヴィトゲンシュタインを起こすジョニー(生徒)が甲斐甲斐しい。(デレクも普段、こうやってケヴィンに起こされてたのかもしれませんね…なんだか微笑ましい一コマ)
 この時点でのヴィトゲンシュタインは、哲学と哲学者に対し、見切りをつけていたのかもしれません。或いは、全ての答えは彼の中で出ていたのか。
 「澄んだ水を濁らすのは哲学者だ」
 講義の中で、彼が生徒に言う台詞です。

 にしても、天才とは、凡人には理解不能な考え方をするもの。
 彼の行動は常に攻撃的で、その尊大な物言いと小難しい論理は、ケンブリッジでも批判と嘲笑の的になります。
 彼自身は完璧な人間でありたいだけなのですが。
 自分の哲学の重要な部分は絶対に書けず、また、将来自分の論理が理解されるかどうか疑問だと嘆く彼に、ラッセルの愛人、オットリーンは言います。

「どうしてそんなに愛されたがるの?」
「完璧でありたい。あなたもそうでは?」
「まさか」
「なら、どうやって友達でいられるんだ」
「知らないわ!」

 この時のティルダ・スウィントン演じるオットリーンの笑顔が、そりゃもう、自信に満ちたというかなんというか、素敵な笑顔でした。対するヴィトゲンシュタインは初めて何かに気付いたような、はっとした顔をします。(ここで初めて、ヴィトゲンシュタインの顔がアップされます)

 彼はそれでも、ケンブリッジとうまくゆかず、ロシア在住を希望したり(労働者の生活を崇拝していたため)、執筆のためにアイルランドやノルウェーに移ったりと、ケンブリッジを否定し続けます。繰り広げられる学者達の虚実に満ちた世界が受け入れられず、彼の求める完璧な世界はケンブリッジにはありませんでした。しかしそれでも、彼はいつもケンブリッジと、彼の哲学に戻るのです。

「世界を論理そのものにしようとした青年は、それをやりとげた。それは、不完全も不確実なものもない、氷原のような世界だった。しかし、自分の作り上げた世界に足を踏み出した青年は、『摩擦』を忘れていたため、仰向けに転んだ。彼は座り込み、涙を流したが、年をとるにつれ、ザラザラや不確実なものは欠点ではないことが分かった。だが、それでも、彼のどこかが氷原を恋しがった。彼は結局、地面と氷のどちらにも安住できず、それが彼の悲しみのもとだ」

 ケインズが、癌で死の床にいるヴィトゲンシュタインについて、最後に言う言葉です。
 完璧な世界にも、現実の世界にも住めなかったヴィトゲンシュタイン。天才であるという前に、彼は一人の完璧主義者であり、そこから逃れられなかったのかもしれません。


 映画では描かれていませんが、それでも、ヴィトゲンシュタインは死ぬとき、こういったそうです。
「素晴らしい人生だったと伝えてください」と。



 画面は、真っ黒な背景に人物を配置し、カメラの視点が変わらずそのシーンが終わる、というケースが多いです。「エドワードⅡ」が舞台をそのまま映画にしたような画像であるなら、こちらのヴィトゲンシュタインは、まるで紙芝居というか、全く奥行きのない、平坦な画像に見えます。ですが、背景を真っ黒にしても、出てくる登場人物が原色のカラフルな色の服を着ていたりして、その色使いがわりと面白い。またそうすることで出てくる人物だけがぽっかり浮いて見えます。このような紙芝居的作りにすることで、逆に「ヴィトゲンシュタイン」という人物に焦点を集中し、話が分かりやすくなっているように思えます。
 
 ストーリーは、史実に忠実な部分と、デレク・ジャーマンらしい脚色が入り混じり、純粋な伝記物語とはいえません。「カラヴァッジオ」の時にも言われたそうですが、ヴィトゲンシュタインを「私物化している」、ともちょっといえるかも。ですが、その一種のパロディちっくな虚実と事実の絡ませ方が絶妙で、「こういうのもありかも」と思わせる内容。短時間で彼の人生がうまくまとまっているのではないかと思います。
 
 配役について言えば、ヴィトゲンシュタイン役は、「テンペスト」でエーリアルを演じたカール・ジョンソン。ちょっと不思議な感じがしました。精霊から哲学者へ…(笑)
 ラッセルはかのマイケル・ゴフ(バットマンで執事やってました)だし、オットリーンはお馴染み、ティルダ・スウィントン!どんな奇抜な役でもこなす、この方には脱帽。(「コンスタンティン」は事前情報もなく見たので、彼女の登場に目が飛び出るかと思いました。心臓に悪い…)
 また、デレク・ジャーマンの恋人である、ケヴィン・コリンズが、ヴィトゲンシュタインの恋人役で登場しているのですが、相変わらずセクシーです。デレク、趣味がいいなぁ…。


さて………。
ここまでエラソウに書きましたが、

……感想文ってナンデスカ…。

書いてて訳が分からなくなってきました。
やはり私も、「語り得ない事については、沈黙せねばならない」のでしょうか。
ううう…努力します。
しかも、最初にできあがるのは「ロード・オブ・ザ・ウォー」じゃなかったのか…。
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by azuki-m | 2006-01-07 22:00 | ■映画感想文index


「私は、断固たる楽天主義者なのです」
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