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「ぼくを葬る」

f0033713_215819.jpg監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン
出演:メルヴィル・プポー 、ジャンヌ・モロー 、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ 、ダニエル・デュヴァル


 最近、身近な人が亡くなりまして。最初の方は辛くてしょうがなかったのですが…。
 ただ、映画自体はどこか淡々としているというか、さらっとして流せてしまうので、結局最後まで見れてしまいました。死を扱った作品ではあるのですが、そこまで深刻なものではなく、なんだか静かな映画。
 オゾンなりの、死とそれに続く再生に続く物語。
 なんだか一種の輪廻転生というか、東洋的な死生観だなぁと思ってみておりました。


  人が死ぬということは、その人とはもう二度と話せなくなるということ。
 それなのに、彼は身近にいる人々に何も伝えません。家族にも、恋人にも、職場の同僚にも。 彼がそのことを伝えるのは、死を間近に控え、「自分と似ていると思った」祖母だけです。
 数々のビタミン剤を並べ、「健康に死ぬため」これらを飲んでいるという祖母。そんな彼女が、「今夜私と死んでくれる?」と孫に向かって言います。死を通じて向かい合う孫と祖母。父親(祖母にとっては息子)のこともあって、このときまで彼らの距離はあまり近いものではありませんでした。しかしここに至ってようやく、彼らは近づくのです。
 自分が子供を残せない為だったのかもしれませんが、彼は最初子供が好きではありません。以前から仲の悪い姉に向かって、「自分ひとりで子供を作ったような顔をしている。それじゃ夫も逃げ出すさ」と言い放ち、彼女をひどく傷つけてしまう。けれど、彼はたまたま入ったカフェのウェイトレスから、「子供を作ること」を持ちかけられるのです。彼女の夫に問題があり、夫婦は子供には恵まれませんでした。(しっかし、それがいかに魅力的な男性であろうとも、初対面の人にいきなりそんなことを聞くのってどうだろう(汗)。よほど思いつめてのことだったとは思いますが、他に方法はなかったんでしょうか(汗)。現実に、こういう問題が起ったフランスの夫婦ってどうしてるのよ)
 彼は一度は断りますが、その後、結局その話を承諾します。彼もまた、自身の死を見つめた時、自分の生きた痕跡を残したかったのかもしれません。
 そして、彼は自分の遺産の全てを子供に残し、ひとりで死んでいく。この最後のシーンは、彼は浜辺に横たわったまま、静かに死を迎えます。こうして彼は母なる海に還っていく。


 さて。
 私が苦手なフランソワ・オゾンの作品。
 …なのですが…。
 うーん?
 フランソワ・オゾンのあの特有の毒がないというか…薄れているというか…。
 いつも苦手だ苦手だと言い、見終わった後は散々文句をつけていたオゾン作品ですが、私は案外あの毒を楽しみにしていたのかもしれません…。
 うわぁ…なんだか屈折してますね、私。
 今回はわりと正統派な作品構成なので、それもあるのかもしれないですが。

 で、感心したのは、死を宣告されたロマンの肉体と、死の間際の彼の肉体。やせ細った彼が、浜辺に横たわっている姿は結構尾を引いて残ります。あの肉体を作り上げたメルヴィル・プポーはすごいですね…。なんでも、「スイミング・プール」でサニエの肉体を作ったトレーナーが指導にあたったらしいですが、それにしてもすごい。「死」へ向かう人間を、上っ面の演技以上にその肉体で表現していますね。

 そして、死を間近に控えた人間の行動として、彼と写真との関係が面白い。
 ロマンは全てのものを写真に収めてゆきます。
 以前の仕事で撮った、着飾ったモデルたちの写真ではなく、身近にあるもの、世界そのものを。それは、死んでいく彼なりの、世界を愛する方法のような気がします。言い方を変えれば、死んでいくことを知ってから初めて、彼は自分のいる世界と向き合うようになったというか。
 こういう行動って、他の映画でもわりと見かけますね。


 また、彼と子供との関係。
 死を知らされたとき、人は自分の人生をたどらざるをえない。
 そんな彼の目の先には、いつも子供(と、その母親)がいます。
 それは過去の自分であったり、道で見つけた子供であったり、姉とその子供であったり。
子供である自分を通し、彼は自分の過去を見つめ、そして自分の死の先にあるものを見つめているのかもしれません。
 この映画には子供がたくさん出てきますが、考えてみると、「子供」が暗示するものって、たくさんありますね。死へ向かうロマンと比べ、子供たちの逞しさ、生命の輝き。子供は生命そのものであり、過去でもあり、未来でもある。穿った見方をすれば、彼は死んでもまた赤ん坊として生まれ変わる。或いは、彼が死んでも、彼の痕跡は彼自身の遺伝子を持った子供が残してくれる。この映画の、半裸の男性の傍らに赤ん坊が寝ているポスターですが、非常に上手い構図だと思います。


 そして、ロマンがカフェで出会う行きずりの女性、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキですよ!「愛する者よ、列車に乗れ」の印象が強かったので、なんだか意外。そういや、オゾンの前作品にも出てたんだっけね。
 そして、出てくる男性がものすごく素敵な俳優ばかりですね…。医者までカッコイイ。
 さすがオゾン。
 男の趣味がものすごくいいですね。



 蛇足ですが。
 この映画の中に、ロマンが「ぼくが怖い?」と父親に聞くシーンがあります。「ときどきな」と応える父親。それを見ながら、「ファザー、サン」を思い出しました。父と息子の関係。時折家族に対して波紋を投げかけ、ゲイでもある息子を、父は本当は恐れているのかもしれません。ですが、その子供はある意味自分の鏡でもあるわけで。…複雑ですね。
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by azuki-m | 2006-06-22 22:04 | ■映画感想文index

ファザー、サン

f0033713_320791.jpg監督:アレクサンドル・ソクーロフ
脚本:セルゲイ・ポテパーロフ
音楽:アンドレイ・シグレ
出演:アンドレイ・シチェティーニン 、アレクセイ・ネイミシェフ 、アレクサンドル・ラズバシ 、マリーナ・ザスーヒナ 、フョードル・ラヴロフ

 ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の作品。
 これは、ソクーロフによる、家族を扱った三部作の内、「マザー、サン」に続く第二作目にあたる作品です。
 舞台がどこの街で、いつごろの話なのかも分からず、画面全体のかかるオレンジや茶色、白の光とも重なって、非常に幻想的で美しい映像が全編にわたって流れていきます。
 これはその中で描かれる、親密すぎる父と息子の物語。


 この映画は、評論家の方々から、「ゲイの映画と見ていいのか」という質問があったそうです。確かに、そう見えてしまうほど、二人の男性―たった20歳しか違わない父子の距離が、非常に近い。母親と子供が自分達の境界が分からなくなり、異常な執着心で結びついていく、というのはよくある話ですが、「父と息子」がここまで親密になるという設定はちょっと珍しい。(母親が無償の愛を与える存在なら、父親の愛情はギブ&テイク。子供が何らかの責務を果たしてから、ようやく注がれる愛情なのです。父は子を導く存在であり、子に愛を与えることが本務ではないのかもしれません)なので、こうした父と息子が不自然に結びつく場合、父は息子に過去の自分を重ねているケースが多いのですが、この「ファザー、サン」の場合はそうではないようです。彼ら二人の執着、繋がり、依存。父は息子にたった一人愛した女性、即ち亡くなった妻の面影を息子の中に見て、それを「神の恵み」と捉えていますが、息子は父をどう見ていたのか。しかしそれはともかく、彼らがあまりに近すぎて、一種の近親相姦的な見方もできてしまう。


 映画は、悪夢にうなされる息子が父に助けられるシーンから始まります。
 歪んだ画面に浮かぶ、二つの肉体。息子は始終、悪夢に苦しめられていました。その悪夢から助け出してくれるのは父であり、しかし彼は夢の中では一人です。そして、夢の中では父を殺しかけることもある。
 互いのいない生活は考えられず、退役軍人である父は職を望みながら、家から出ることはできません。
 また、彼は肺に問題を抱えていました。しかしその肺のレントゲン写真を見て、「父の肖像画だ」と言う息子。「少しばかり露出の多い」レントゲン写真を、彼は部屋に飾っていました。
(しかし、このレントゲン写真…随分綺麗に見えるんですが…。父親は本当に病気に罹ってたのかしら?)なんだかこの辺り、息子の父に対するものすごい執着が見えて、ぞくぞくします。

 「何故こんなにも違うんだろう」
 父親の顔に触れながら、息子が言う台詞です。
 息子は父のような男になりたいのかもしれず、しかし彼は父になることができない。息子が顔に触れる間、父はわずかに顔を背けます。

 しかしそんな生活に、突如、父の友人の息子だという青年が尋ねてきます。失踪した自分の父の足跡を求めて、青年は父子を訪ねたのです。しかし、息子はそれが面白くありません。
 父のレントゲン写真を相手に見せ付け、激しい口論の後、彼はその青年と共に街を歩きます。 この時の、オレンジかかった街の美しいこと。そして、同世代の青年と時間を共にし、息子はあることに気付いていきます。「父は息子に全てを与え、孤独に死ぬ。」
 そして、やがては自分も「父」になるのだと気付く息子。父と自分は違う存在であり、そして同じものである。別れた彼女と完全に決別し、家に戻った息子は、父を退け、「家から出て行く」と、父から離れることを選ぶのです。
 そして、それを受け入れざるを得ない父。「一人になるな」と呟く父に、息子は「一人じゃないさ。再婚しろよ」と言うのです。
 最後、今度は父が夢の中、一人で雪の降る屋上に出て、息子の「そこに僕はいる?」という問いかけに、「いいや、私一人だ」と答えます。
 これでようやく二人は分離したのかもしれません。



 「父の愛は十字架にかけること、息子の愛は十字架にかけられること」
 この台詞は映画の中で息子が言う言葉ですが、元は聖フィラレットの言葉から、だそうで。この映画全編にある、「父と子」(キリスト教における「父と子」でもある)のストーリーを集約した言葉でもあります。ソクーロフは、近親者への愛を非常に重要視していて、その愛には制限がないものと捉えているようです。ただ、これほどの強い結びつきが「一種の御伽話」であることは、ソクーロフも言っていますが。

 そして、何度も言いましたが、映像が非常に美しい…。
 人物の撮り方から風景に至るまで。息子とその彼女が、窓を挟んで話し合うシーンは、魅惑的で、非常に妖しいムードがあります。そして息子と父が見詰め合う時の緊張感。
 古い建物(撮影場所はポルトガルだそうです)が立ち並ぶ海の見える街、赤い夕日、そして全体を覆うオレンジ色の光。映像にはオレンジがかったようなものが多く、父と息子の顔も、オレンジ色の光があてられて、輪郭がちょっとぼやけています。

 また、劇中に使われる音楽。これはソクーロフ作品の特徴なのかもしれないですが、効果音に不協和音を入れたり、雑音を入れたり、突然クラシック音楽を入れたり、沈黙の時間が結構少ないように思います。あまりの不協和音に、ちょっと眉を寄せたことも(汗)。そして、作中流れる、チャイコフスキーをどう考えればいいのか(苦笑)。単にその曲がその場面に相応しいから使ってると思うんですが、…まぁ、そこまで深読みすることはないとは思いますが。「チャイコフスキー、好き?」息子は父にそう聞きます。

 ソクーロフのポリシーにより、出演者は主役二人は素人を起用。しかし、全ての出演者に雰囲気があって、映像にものすごく合っています。メイク、衣装、カメラ、キャスティング…スタッフ一同、グッジョブです。ただちょっと、息子役のアレクセイ。…声がすんごい太いですね(汗)。演技もちょっと苦しかったけど(汗)。そして、出演者の名前と役名は一緒のようです(リョーシャ、或いはリョーシェンカとはアレクセイの一般的な愛称(隣人のおばさんが言うリョーシェンカだと、リョーシャちゃん、みたいな甘ったるい言い方になるのかな)、サーシャとはアレクサンドルの一般的な愛称)。


 私はこの監督の作品を見るのは初めてだったのですが、…もう、何から言っていいのやら。
映像がとにかく美しく、その他の演出、撮り方、…ものすごく私好みで、どうしようかと思いました。
 ですが、見たときに体調が悪かったこともあって、細部であやふやなところがあるので、もう一回見に行こうと思います。
 京都では夏に公開予定とのことなので、そこまで待つかな…。(京都の映画館の方が、家から行きやすいのです)


 蛇足ですが。
 …なぜか出演者が上半身裸のことが多いこの映画。
 父親(多分、40歳くらい)役のアンドレイが、ものすごく逞しい…。息子(軍隊の訓練生?という設定)も逞しいのですが、そんな二人が脱ぐシーンが多いんで…。多分、父と息子の肉体も重視しているからだと思うのですが、それは男としての二人を撮っているのか、「父と息子」の肉の繋がりを意味しているのか(父の肉体より、息子は生まれる)。夢の中で裸なのは、「夢」という中で何もかもを取っ払った真っ白な姿が「裸」ということになるからなんだろうけど。
 「日陽はしづかに発酵し…」でも思ったことですが、アレクサンドル・ソクーロフ、「肉体」の撮り方が素っ気無いようでいて丁寧に撮ってますね。肉体に固執しているわけではないんだけど、単なる小道具としては扱っていないというか。ほのかなエロティシズムが最高です。
にしても、本当に、父親役の人がセクシーですね…。これで素人って、どうよ。
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by azuki-m | 2006-06-11 04:00 | ■映画感想文index

「カラヴァッジオ」

f0033713_1121931.jpg監督:デレク・ジャーマン
脚本:デレク・ジャーマン
出演:ナイジェル・テリー 、ショーン・ビーン 、デクスター・フレッチャー 、スペンサー・レイ 、ティルダ・スウィントン

 イタリア・ルネッサンス期に活躍した、ミケランジェロ・カラヴァッジオの映画。

「それは、恋ではなかったか」

 カラヴァッジオの劇的な人生に、デレク・ジャーマン(以下、DJ)なりのひとつの解釈を試みた映画。
 ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。ですが、カラヴァッジオの故郷・イタリアということもあって、この映画に対する評価は賛否両論だったそうで。
 「カラヴァッジオを私物化している」と批判もされたそうですが、それも分かる気がします。
 そもそも「カラヴァッジオ」を題材に取ったのは、DJがゲイであるというところもあったのでしょうし、或いはDJの画家としてのアイデンティティもあったのかもしれません。

 そんな彼が題材にとったカラヴァッジオと、その作品ですが。
 彼の絵の特徴は、明暗のはっきりした、非常にドラマティックな絵であること。人物の表情が劇的で、そして聖人たちを扱った絵でありながら、その表現は現実的。有名なエピソードとしては、ルーブルに飾られてある「聖母の死」でしょうか。この絵は教会から聖母の昇天を頼まれたものですが、カラヴァッジオは河に身を投げた女の死体をモデルに描いたとされています。そのため、死んだ聖母は宗教画としてはリアルで、生々しいタッチで描かれています。(映画の中では、死んだレナをモデルにカラヴァッジオが絵を描くシーンがありますね。)結局、その絵は祭壇にそぐわないとして、教会に受け入れられることはありませんでした(彼のそのほかの作品でも、祭壇にそぐわないとして受け取りを拒否された絵があります)。しかし、彼の作品は後世の画家達に多大な影響を与えました。

 さて、映画「カラヴァッジオ」とは。
 ストーリーは、死の間際にいるカラヴァッジオの映像から始まります。そして、そんな彼の側にいるエルサレム。エルサレムは架空の人物であり、この映画のためにDJが作った狂言回しです。死の床にいるカラヴァッジオが思い出すのは、少年時代の思い出、才能を認められたときのこと、教会から頼まれた大きな絵の作成のため、モデルを探していたときであった、ヌラッチオという男のこと、そして彼の恋人レナのこと、そして自身が犯した殺人のこと。
 カラヴァッジオが殺人を犯し、ローマから逃亡したのはよく知られていることですが、原因となったヌラッチオ殺しで、それは愛のために犯された殺人であると解釈し、DJは映画「カラヴァッジオ」を作成したようです。

 ヌラッチオ、レナ、カラヴァッジオとの間で芽生える、奇妙な三角関係。
 カラヴァッジオはレナもヌラッチオも、同等に愛していたように思います。彼は二人をモデルにすることで、インスピレーションがわくのです。そしてそんな不思議な関係を眺める、エルサレムの目。
 やがてレナの美貌は枢機卿の目にとまり、彼女はヌラッチオを捨て、枢機卿の愛人となりますが、翌朝、彼女の死体が河に浮いているのが発見される。レナ殺しの容疑をかけられたヌラッチオを救うため、カラヴァッジオは奔走するも、やがてヌラッチオは驚愕の事実を口にする。「彼女を殺したのは俺だ」と。それを聞いたカラヴァッジオは、ナイフをヌラッチオに突き立てる…。



 エドワードⅡと同じく、コスチューム・プレイでありながら、現代の服装、小道具が使われている作品。しかもそれが画面にぴたりと嵌っていて、素晴らしい。また、主要な出演者たちはほとんどイギリス人ですし、堂々と英語を喋っているわけです。しかしそれを逆手にとって、「イタリア語で言うなら、こうだ!」とわざわざイタリア語で悪口を言うシーンが挟まれてあったりして、逆説的な面白さがある。
 カラヴァッジオの絵画と同じ構図のカットが何度か使われ、レナの死のシーンは「聖母の死」、カラヴァッジオ自身の死は「キリストの死」が使われ、その瞬間、その構図はとまったまま動きません。映画で「絵」を作る、或いは実際の人物を使って絵を描くとはこういうことか、といった感じ。それは下手に登場人物を動かしてストーリーを作るより、印象に残ります。
 多分、セットは全て室内で行われ、一つのシーンはずっと同じ部屋で撮られるのですが、その照明の使い方が独特。窓から光が入る、といったシーンが多いせいか、全体的に画面がちょっと茶色っぽいというか、セピア色というか。背景がほとんど茶色い土の壁なので、余計にそんな印象を与えるのかもしれません。もしかすると、これもカラヴァッジオの絵を意識しているのかな。彼の絵は、明暗が非常にはっきりした書き方なので、モデルたちを構図の通りに配置し、レフ板のようなもので強烈な光をあてて描いたのではないか、と推測されているようです。
 DJ独特の色彩感覚と、カラヴァッジオのこれまた独特な色彩感覚が混ざり合って、構図が非常に面白い。
 また、登場人物たちは、DJが史実を元に想像を膨らませて生まれた人物たちです。元々、DJは「聖マタイの殉教」の中心に描かれている半裸の「魅力的な人物」をヌラッチオとし、そこから話を膨らませていったようです。(それにしても、このヌラッチオにショーン・ビーンを配置するあたり、デレクグッジョブというような感じでしょうか。そういえば、ショーン・ビーンはこの後、「チャタレイ夫人の恋人」にも出てたんでしたっけ?森番役だったのかな?)

 しかしこの映画、DJのDJたる所以が存分に味わえる映画というか。
 彼の作る長編映画はどれも非常に「彼らしい」作品なのですが、この「カラヴァッジオ」でひとつの頂点を迎えたような気がします。
 またスタッフも、美術:クリストファー・ホッブス、衣装:サンディ・パウエル、音楽:サイモン・フィッシャー・ターナー、そして彼のミューズ、ティルダ・スウィントン(その他、ナイジェル・テリー、ショーン・ビーンも、かな)という、チームデレク・ジャーマンが結成され(クリストファー・ホッブスはジュビリーから参加)、以後、「ラスト・オブ・イングランド」、「エドワードⅡ」、「ヴィトゲンシュタイン」等等、彼らが顔をそろえることが多くなります。



 DJ作品を初めて見るなら、とりあえずはこちらがオススメ。
 是非ご覧下さい。




 蛇足ですが。
 カラヴァッジオの「聖マタイの召命」が飾ってあるサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会の横に、小さな本屋さんがありまして。
 観光客目当てなのかなんなのか、カラヴァッジオ絵画集が結構たくさん置かれていたのですが(カラヴァッジオのほかにも、イタリアの代表的な画家の画集がありました)、その中の一つに、巻末にこの映画のことが紹介されていているものがあって、ちょっと嬉しかったり。画集自体はイタリア語で書かれていましたが、即買ってしまった(苦笑)。
 それとサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会にある「聖マタイの召命」は、絵の側にある機械にお金を入れると照明がつくようになっているのですが(教会の中は薄暗い)、私がぽんぽんお金を入れるもんだから、私の後ろに他の観光客がたくさんいました…。今となっては、旅のいい思い出です(苦笑)。
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by azuki-m | 2006-05-28 01:36 | ■映画感想文index

「ダ・ヴィンチ・コード」

f0033713_2571328.jpg監督:ロン・ハワード
脚本:アキヴァ・ゴールズマン
出演:トム・ハンクス 、オドレイ・トトゥ 、イアン・マッケラン 、アルフレッド・モリナ 、ジャン・レノ


 いって参りました、「ダ・ヴィンチコード」。
 初日の夜8時からの回だったんですが、席はほぼ満席。
 土曜日でも、ここまでイッパイなのは、「スターウォーズ・エピソードⅢ」以来かもしれません…。
 さて、ストーリーについては今更言うこともないですし、割愛させていただきますが…。
 何が楽しみだったかって、この映画、ルーブル美術館での撮影、その他イギリスの名所巡りという、観光スポット紹介のような、美しい美術・建造物の映像。
 原作と比べて、その辺の観光スポット映像はかなり割愛されていましたが、それでも楽しかったです。
 パリの映像は、「あぁ、ここ行ったなー」「これ見たなー」というような感じで、ちょっと懐かしかったです。
 私がルーブル美術館を訪れたとき、世間は「ダ・ヴィンチコード」ブームで、モナ・リザの前は黒山の人だかり。ブームがこなくてもそうだとは思うのですが、妙な熱気がありました。
 私は「ダ・ヴィンチコード」をそのときは未読でしたし、そもそも私がパリを訪れたのは、エーコーの言うところの「絶対的な真理」=パンテオンの「フーコーの振り子」と、笠井潔著「薔薇の女」(…当時、ヤブキカケルシリーズを読んでいたのです…)に出てくる、「完璧な美」=ヘルマフロディトス、そしてカラヴァッジオの絵を見たかったからなのですよね…。
 カラヴァッジオの「聖母の死」の前でずーっと立っていたアジア人を、看視員さんが不思議そうに見てました(汗)
 そんなカラヴァッジオの絵を、冒頭、ソニエール館長が床に落とすもんだから、泣きそうになりました。
 ルーブルの館長が、そんなことしないでくださいー!
 でもそのお詫びなのかなんなのか、よく分かりませんが、カラヴァッジオの絵が映画の中で結構使われていて、嬉しかったです。(評議会のシーン、その他随所に彼の絵のポスターが)
 カラヴァッジオの絵はドラマチックなものが多い(題材もそうですが、その描き方も。光と影というか、黒の部分の描き方が圧倒的)ので、小道具として使いやすいのかもしれませんね。


 ま、そんな事は置いておいて。
 前半部分の映像は夜のシーンなので、前半ずっと映像が見難くて…(汗)
 カーチェイス(?)のシーンは目がぐるぐるしました。
 ストーリーも謎解き部分も、かなり割愛されていて、その辺は2時間少しの「映画」にするためには仕方がなかったというところでしょうか。
 なので、イアン・マッケランの存在には少しほっとします。
 彼の妙に堂々とした喋り方、独特の存在感。思わず「ガンダルフ」と呼びたくなってしまいますが、彼がいてくれて本当によかった。映像にちょっとした重みが加わりますね。
 あと、シラス役にポール・ベタニーを連れてきてくれたのもグッジョブです。私は結構、この役、わりとハマリ役だと思っているのですが、どうでしょう。見てる側にさらに痛みを感じさせる演技はさすが。
 そして、音楽がハンス・ジマー。相変わらず、いい仕事をしてくださいます。

 まぁ、ただ、なんというか、この映画には美術品や建築物の映像にかなり期待していた部分はあったので、もう少しじっくり撮ってもよかったかなぁ、というのが多少の不満でしょうか(苦笑)構成上、あれ以上無理なのかもしれない、というのは分かっていますが。
 さらりと流され過ぎてて、今ひとつ、その作品の素晴らしさが伝わり難いような…。それと、歴的建築物の中がかなり薄暗いので、中の美術があまり綺麗に映ってなかったのかな。実際、あんな感じですが…。ちょっと勿体無い。 
 ただ、やはりルーブル美術館の夜の映像は楽しい。あの中はあんな風なってるんですね…。
なんだったか、ルーブルのドキュメンタリー映画がありましたが、借りてみたくなりました。

 全体的に、ストーリーがどうというよりは、パリとロンドンの観光スポットを見るのが楽しい映画でした…。すみません、マニアックな楽しみ方で…。いや、でも、間違ってはいないと思うんですが。ストーリーや謎解きパートは、やはり、小説と比べるものではないと思うので、小説に描かれていたシーンを「あぁ、ここなのか…」と考えながら見ると楽しいと思います。



 蛇足ですが。
 「ダ・ヴィンチコード」の内容にはあまり触れてはいませんが、映画のほうが幾分ソフトな内容になってたかな?ラングドンはティーヴィングの理論の歯止め役というか、そんな役どころも与えられているようです。
 「ダ・ヴィンチコード」のストーリー自体は、語り出すときりがないし、私自身も知識はほとんどと言っていいほどないので、触れることはやめておきますが…。ただ、出演者たちが言っているように、これはよくできた「フィクション」であり、それ以上でもそれ以下でもないというか。或いは、このお話もキリストを巡るお話の中の、一つの見方(視点)でしかないんですよね。
 そういや、最近、新聞に「ユダの福音書」が見つかったとかなんとか書かれていましたが、あれだってキリスト教を見る上での、一つの見方(視点)です。しかし、非常に興味深い視点ではありますが。本物であれば、原始キリスト教の一つの形を知る貴重な資料なんでしょうね。(しかしあの内容…太宰治の「駆け込み訴え」(だったっけ?:汗)のユダみたいだ)  
 また、これを巡ってバチカンからまたなんか言われてるみたいですが、いつものことですね。バチカンの立場としては何か言わなきゃいけないだろうし(笑) 
 後は、宗教団体がソニー製品の不買運動を正面切って始めたみたいですが、これは初めてのことなんだろうか?ありそうなんだけど、あんまり聞いたことがないなぁ…。
 なんにせよ、原作がここまでベストセラーになっていなかったら、こんな大きなニュースにはなってなかったんだろうなぁ…。


※更新をさぼっている間にも、それなりにカウンタが回っているようで、来てくれた皆様に申し訳ない…。
 体はへろへろですが、頑張って更新しますねー!
 
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by azuki-m | 2006-05-21 03:09 | ■映画感想文index

「ブロークン・フラワーズ」

f0033713_19494359.jpg監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
出演: ビル・マーレイ 、ジェフリー・ライト 、シャロン・ストーン 、フランセス・コンロイ 、ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン

 こちらも家族を探す男の物語。
 まだ見ぬ息子とその母親を求め、昔付き合っていた女性達を訪れる元ドン・ファンについて。

 この映画のあらすじが、「アメリカ、家族のいる風景」と重なって、私の中でごちゃごちゃになって困った時期がありました(苦笑)。
 似たような題材を取り扱っても、ヴィム・ヴェンダースはサム・シェパードを起用してシリアスな映画に、ジム・ジャームッシュはビル・マーレイを起用してコミカルな映画に。このあたり、二人の色の違いがはっきり出てますよね。
 ま、そんな事は置いておいて。

乱暴に要約したストーリー:
コンピューターで大成功した大金持ち、ドン・ジョンスンは女性関係が盛んでも孤独な元ドン・ファン。しかし付き合っていた女性に家を出て行かれた日、彼にピンクの手紙が届く。謎めいたピンクの紙には、「自称20年前に付き合っていた女性」から、「あなたには19歳になる息子がいる。そして彼は父親を探しに旅に出た」との衝撃の事実が。その手紙を見て喜ぶ、お節介な隣人ウィンストン。「よかったな、父親になれて」。彼はドンにその母親を探しに行く事を提案するが。



 今回の場合は、母親ではなくお節介な隣人・ウィンストンが主人公を導いていきます。
 しかし、この隣人とのやり取りが、本当に面白い(笑)。
 静まり返った(高そうな)家の横で、たくさんの子供が庭で遊ぶ、賑やかな家。(それにしても、いったい何人の子供がいたんだろ:汗)
 探偵小説が大好きなウィンストンの推理が冴えます(笑)。ドンに「女たちのリストを作れ」だの、いろいろ指示を出すのですが、口では嫌がりながらも結局最後は従ってしまうドンが可愛い(笑)。このあたり、多分、ドンも何だかんだと言いながら、期待していたのかもしれませんね。彼女にも去られ、ずっと一人だと思っていた自分に、突然「息子」という存在が生まれる。戸惑いながらも、その存在を本当は嬉しく思っていたのかもしれません。そして最終的に、ウィンストンは「息子の母親探しツアー」(飛行機、ホテルからレンタカーまで手配)を作ってしまい、旅行代理店が作るようなスケジュール表一式と彼オススメのCDをドンに渡す。それも、嫌がりながら、結局は旅行に出かけてしまうドン。 
 なんだかハメられたような気分のまま、過去の女性達の元を尋ねるドン。女性達の住所を全部覚えてたっていうのがすごい。このあたり、本物のドン・ファンですね。単に遊んでいるわけではなく、その相手には常に本気だという(笑)。でもきっと、いつもフラれる方なんでしょうね。

 女性達の反応もそれぞれです。夫に死なれ、少し寂しい生活を送っていた女性からは歓迎されますが、今の生活に満足している女性からは戸惑いしか返ってこない。独立し、昔とは別の道に進んでいる女性からは少し邪険に扱われ、孤独な生活を送るワイルドな女性からは怒鳴られ、彼女の取り巻き(?)に殴られてしまう。昔の恋人がいきなり尋ねてきて、温かい反応を返してくれる女性はあんまりいないと思います。その思い出がすごくよかったなら別として。
 (にしても、女性達を訪ねる間間は結構ダラけてしまい、退屈している観客も多かったように思うのですが、それも次の女性への期待を高めてくれるものだと思えば。)
 ですが、最終的に、特に大きな成果もなく、彼の「家族を探す」旅は終わってしまう。

 結局、謎は謎のまま、映画は幕を閉じます。
 最後に、「彼の息子」と思しき青年は出てくるものの、それも本当に彼の息子かどうか分からない。なにせ、ジャームッシュ自身も彼がドンの息子かどうかは分からないそうですから(笑)
 少し唐突な、皮肉めいた結末(非常に現実的…)でありながら、何かを期待させる結末でもある。ただのコメディで終わらせないところが憎い…。
 観客は、ウィンストンと同じく、推理する楽しみを与えてもらっているのですよね。

 私としては、あの青年は彼の息子だといいかな、なんて(笑)
 だってジャージだし。ピンクのリボンだし。(あの怪しいピンクの手紙が、悪戯じゃないかどうかも分からないんですけどね。)母親としては、2番目の、裕福そうな女性・ドーラでしょうか。
あの家庭なら、「繊細で想像力に富んだ」息子が育ってもおかしくなさそう。


 ストーリーの都合上、画面には様々なピンクが映るのですが、そのたび、画面が華やかでコミカルになります。それにしても、女性達には常に違ったピンクの花を持っていくドンは偉いな(笑)。しかも、その女性によく似合ってる。最後の女性・ペニーにはその辺に生えていた野生の花をむしって持っていくってのが笑えますが。

 それにしても、ティルダ…。いつもいつも、印象の違う役をしてくれるのですが、こんなパンキッシュな役(最後の女性・ペニー役で出演)だとは。今までで一番ワイルドですね。…でもちょっと、出番が少ないよー(泣)。女性達の中で、一番時間が短いじゃないですか(泣)。

 ビル・マーレイの演技はすごい。トボケた感じのポーカーフェイスは本当に見事。ただ椅子に座ってるだけなのに、なんでこんなに面白いんだろう(笑)。二番目の女性・ドーラの家で、彼女の夫と一緒に食事をしているシーンには結構笑えました。
 女優たちも超豪華。そして全く違う個性の女優さん達の共演は非常に面白かった。ドンの女性の好みの広さが分かります(笑)。
 そして、一番最初の女性・ローラの娘がロリータって…(笑)。この娘さん、なぜか脱ぎ癖があるらしく、ドンがいてもお構いなく、素っ裸です。しかも耳元にはおっきなハート型のピアスが揺れています。しかもアイス好き。…「ロリータ」か…(笑)

 あと、ドンの家はなんだか薄暗く、押さえた色調なのですが、ウィンストンや女性達の家の様子と比較してみると中々面白い。ローラの家は母子家庭の力強さと猥雑さがあるし、ドーラの家は白とピンクだけで、まるでモデルハウスみたいな清潔さで、ちょっと無味乾燥。カルメンは仕事場なので、ヒーリングクリニック?のリラックスムード。しかし、ペニーに至っては室内が映されることなく、壊れかけた家の正面と、ゴミの散乱する庭だけ。それぞれの個性が出てて面白いなぁ、と思います。


 見ている間、映画館には笑い声が飛び交い、かなり和やかな感じでした。
 観客はほぼ日本人だったんですけどね。お客さんの反応がすごくよかった。
 かなりコミカルで面白い映画。最後にちょっとした寂しさはあるけれども、大人っぽい、お洒落な映画です。
 ものすごくオススメ。
 どんな人でもそれなりに楽しめると思います。
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by azuki-m | 2006-05-07 19:55 | ■映画感想文index

「青い棘」

f0033713_172638.jpg監督:アヒム・フォン・ボリエス
脚本:アヒム・フォン・ボリエス
出演: ダニエル・ブリュール 、アウグスト・ディール 、アンナ・マリア・ミューエ 、トゥーレ・リントハート 、ヤナ・パラスケ



 これ、私の行きつけの映画館ではモーニングショーで、朝の10時からやっていた映画だったのですが…なんていうか。これを朝から見るのは、正直きっついよ…!!
 しかもこれ、実話が基だそうで。(シュテークリッツ校の悲劇)
 事実は小説より奇なり。
 当時のドイツを仰天させたのは当然かも。日本からも特派員が派遣されたほど、世界の注目を集めた事件だったようですね。

乱暴に要約したストーリー:
時は1927年。ワイマール共和国時代のドイツでのこと。ギムナジウムの学生・パウル・クランツは友人であるギュンター・シェラーに別荘へ招待される。そこにはギュンターの妹・ヒルデも来ていると言われ、その誘いに乗るパウル。彼はヒルデにひそかに思いを寄せていた。だが、ヒルデは彼をまるで相手にしない。落胆した彼は、ギュンターと「幸せ」について話し合う。「真の幸せはおそらく一生に一度しかこない。その後は罰が待つだけだ」。やがて彼らは、「真の幸せ」が訪れた瞬間に死ぬという、「自殺クラブ」を結成するが。


 上の「乱暴に要約したストーリー」を書きながら、なんだかとんでもない話だなぁ、とつくづく思いました。「一瞬の幸せ」しか信じられないというのは、若さがなせる業なのかもしれない。それしか信じられないという純粋さと、経験値の不足。なんだか複雑な気分です。

 それはともかく。
 ヒルデとギュンター、この兄妹が、異常に仲がいい。
彼らは結局、ハンスという男を巡って、どろどろの愛憎劇を繰り広げているわけなのですが、最初は、この兄妹は、ハンスを通して自分達と愛しあうという、一種の近親相姦的な愛なのかしら、と思いました。ま、それも一部あるかもしれないのですが、やがてギュンターは露骨にハンスを求め出し、ヒルデにパウルを押し付けようとしますが、彼女はそんな兄を一蹴します。
 ギュンターの必死さが、ものすごく痛々しい。彼とハンスの仲は既に終わってしまっているのに、彼はそれを認めたくない。一度は認めたはずなのに、いざハンスが目の前に来て、妹といちゃいちゃしているのを見るのは耐えられないわけです。でも、ハンスは結局、「愛される」側に立つ人間だから、ギュンターの苦悩なんか分かりもしない。このあたり、恋愛映画の王道の路線ですが、これがノンフィクションを基にしているといわれると(汗)
 パーティーの後の虚脱状態の中で、事件は起きます。ハンスとヒルデが愛し合うのを、見ていることしかできないパウルとギュンター。彼らはやがて銃をとりますが、パウルは途中で我に返り、「家に帰る」といいますが、全ては手遅れです。ギュンターはハンスを射殺し、パウルの手も拒絶して、自殺する。「これが正しい道だ。悔いはない」


 さて。
 正直なところ、映画の宣伝なんかで、「アナザー・カントリーやモーリスに次いだ新しい友情の形が誕生した」なんとかかんとかと言われているのを見て、少し警戒したところはあったのですが(アナザー・カントリーは少し苦手な映画だったりします。モーリスも、映画より原作の方が私は好きかな…)。
 ただこの映画、映像が美しい。
 別荘の映像なんかは、少し懐古的で、開放感のある映像だと思いました。そしてそれだけでなく、田舎や森の美しさ、そして夜のパーティー。音楽は当時の流行歌が使われ、ドレスを着た華やかな若い女の子たち、男の子たちがエネルギッシュな若さを振りまいています。そして何より、ヒルデを演じるアンナ・マリア・ミューエの美しいこと。
 このとき彼女は16歳だったそうですが、16の、今から大人の女性になろうとする少女の不安定さ、初々しさと色気が混在していて、非常に美しい。画面いっぱいに漂う、小悪魔的な魅力。「ダウン・イン・ザ・バレー」のエヴァン・レイチェル・ウッドにも言ったかと思うのですが、これくらいの女の子が持つ美しさというのは、本当に貴重です。今しか撮れないものだもの。

 また、時代は黄金の20年代です。開放された新しい女性たちの時代。華やかな服に凝った髪形、お化粧で飾る女性たち。
 そんな彼女たちの男に対する考え方は、勿論以前と比べて変化しています。ヒルデたち女学生の、男に対する会話がけっこう露骨で面白い。
「両手にいっぱいの男が欲しい」
「一人の男に縛られたくないの」
 …(笑)。
 でも、こういうの聞くと、あぁぁ、10代の、何も知らない子だからこそ言える台詞だなぁ、なんてちょっと笑ってしまったりもします。
「きみは言い寄る男が本当は怖いんだ。だから先に攻撃する」
 『恋多き女』ヒルデにある男が言う言葉ですが、上の彼女達もまさにそんな感じなのかもしれません。本当は怖いのに、怖くないフリをして、強がっているというか。或いは、怖いからこそ逆に支配下に置きたいというか。
 ま、そんな事は置いておいて。

 
 
 端的に言えば、ワイマール共和国時代のドイツでの、苦すぎる青春物語。
 若いからこそ、悩んで、出口を見つけられずに暴走してしまう。(でも、彼らの「自殺クラブ」や「幸せ」に関する考え方は、変に大人びています。妙に哲学的で、四角四角しすぎてるような。…ドイツ人だからでしょうか:汗)
 しかしこの映画は、後日談としてあげられている、裁判を担当した弁護士さんの言葉に全てが凝縮されている気がします。(映画にそのシーンはありません)

「私は「何が起きたのか」と問いはしない。代わりに、「若さとは何か」と問いたい。そしてその質問にはゲーテの言葉で答えよう。「若さとはワインを飲まずして酔っている状態なのだ」」

見事な台詞ですね。


蛇足ですが。
主役二人が19歳っていう設定にはかなり無理があると思うのですが…(汗)
いやしかし、それ以上に、実際のパウル・クランツの写真も「これで19歳はありえない(汗)」ってな感じです。
…昔の人は、大人になるのが早かったのよね。

さらに蛇足(汗)。
…えぇっと、映画の宣伝とかいろんな場所で、「美青年たちの共演」とかなんとか言われてるのですがね(汗)
そのう、はっきり言って、私はここに出てくる俳優さんたちはちょっと好みじゃないかも…(滝汗)
ダニエル・ブリュールは可愛い顔立ちをしてると思うのですがね、他の二人がですね、ちょっと線が細すぎるかなぁって…(滝汗)
何を美しいとするかは人それぞれですが、アウグスト・ディールを「ヘルムート・バーガーの再来」と言われてしまうと、ものすごく複雑です。…いや、本当に、どうでもいいんですがね(大汗)。
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by azuki-m | 2006-05-07 01:18 | ■映画感想文index

「アメリカ、家族のいる風景」

f0033713_04084.jpg

監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:サム・シェパード
出演:サム・シェパード、ジェシカ・ラング、ティム・ロス、ガブリエル・マン、サラ・ポーリー

 ヴィム・ヴェンダース監督作品。なので、けっこう期待して見に行きました。
 今年2回目のカウボーイ作品。
 ヴィム・ヴェンダースといえば、私はどうしても「ベルリン・天使の詩」を思い出してしまう。それくらい、あの作品は私にとって衝撃でしたし、思い出深い作品でした。今でも、見てて涙が滲むくらい。ただ、「ベルリン…」は逆に、彼の作品の中で異色なのかもしれません。さて、そんな私が見た、「アメリカ、家族のいる風景」とは。



 この映画は、唐突に、撮影場から主人公ハワードが逃げ出すシーンから始まります。
何故彼が逃げているのかは分かりませんが、彼は焚き火を前にして、「どうして死ななかったのか」と呟きます。
 もしかすると、突然、何もかもが嫌になったのかもしれません。限界を感じ、彼は30年も音信不通だった母親の元へ帰ります。しかし、この母親、なかなか手強い(苦笑)。最初は長く離れていた息子の顔が分からないし、出迎えに造花を持って現れたり(結局は父親のお墓に供えるためのもの)、息子のゴシップの新聞記事をノートにして保存していたり。息子が居たとしても、彼に対し特に注意を払うわけでもない。30年の時間は、彼女の中で、息子をどこか遠い存在にしてしまったのかもしれません。なんというか、彼女は彼女なりに息子を愛してはいるんだけど、彼が不在だった時間が長すぎて、その不在に慣れてしまったような感じ。それはともかく、彼女は息子のしでかした事を全て知っていて(新聞記事の保存してるくらいですから)、彼の息子(彼女にとっては孫)の存在を彼に告げる。

 それに動揺した男は、息子を探しに行くことを決意するのですが、彼は何故息子を探し出そうとしたのか。
 それはともかく、(いろいろありましたが)、なんとか昔の恋人であるドリーンを探し当て、そしてそれを同時に息子の姿を目の当たりにする。
 しかし、その姿はあまりに自分にそっくりで、彼は衝撃を受けるのです。

「こんな気分になるなんて」
「とても辛い」
 
 何故、彼は息子を探そうと思ったのか。
 息子のアールは当然ながら、拒否反応を起こし、父であるハワードと、そして母親であるドリーンにすら拒絶反応を示してしまう。(息子に対する父親の気持ち、父親に対する息子の気持ちというのは、娘へのものとは少し違うのかもしれませんね)
 息子も既に30歳。若い時は父親の存在を恋しく思い、心にぽっかりとした穴が開いていましたが、長い年月をかけて、彼はそれを修復していった。今更、その穴に再び突き落とされたくはないのです。
 ですが、一方の娘のスカイは逆に彼を探し出します。彼女は父親が誰であるかを最初から知っており、自分と父親との共通点を見出そうとしていました。
「あなたは家を作らないの?」
 壊れた家具に囲まれて、彼女はそう聞きます。

 ですが、ここにきてもまだ、ハワードは正面から物事に向かい合うことを避けているのです。
 息子に拒絶された後、彼はドリーンに復縁を持ちかけますが、今度は彼女にも拒絶されてしまう。
「あなたは今度は私の人生の中に隠れたいのよ」

 それでも、彼が来たことで、ドリーンやアールの中で、少しずつ何かが変化していく。以前のような生活には戻れず、「そこにないもの」を「ないもの」として素通りすることはできなくなった。それには「ハワード・スペンス」という名前がつけられたのです。
 ハワードは結局、自分から進んでではなく、他人の介入によって娘と息子に対面することになるのですが、そうしてようやく、彼らは互いに歩み寄ることができた。その後、ハワードはすぐに自分がいるべき場所:映画の撮影場所に向かいますが、劇中劇の言葉通り、「いつまでも君の心の中にいる」のです。


 人生はやりなおすことができない。
 でも、そこに変化を起こすことはできる。
 さすらいのカウボーイがふらりと立ち寄った場所は、結局、安住の地ではないんだけど。彼らはまた新しい場所に旅立つことができたわけです。


 さて。
 簡単に言ってしまうと、この作品は、2×歳の小娘には早すぎる作品だったようです。
 多分、この作品はある程度人生経験を積んだ、50代以上の人が見るべき作品なんじゃなかろうか、と思いました。「アイズ・ワイド・シャット」を見たとき、友人の母上が、「この映画はね、大学生の小娘なんかには分からないのよ。結婚してね、何年か経たないと分からないわ」なーんて言っていたのを思い出しました。
 スカイやアールの気持ちはなんとなく分かりますが、ハワードの気持ちとなると…。彼が感じていた人生に対する空しさは、ハワードの年齢のものと、20代のものとは明らかに違っているでしょうし。彼は自分の人生を振り返る段階に来ていますが、20代の私はまだ駆け上っている真っ最中なんでしょうね。

 そんなハワード自身は、本当にダメダメな男です。
 ですが、心の底から嫌いになることもできないんですよね。それにしても、サム・シェパードの皺だらけの顔、ごつい手を見るだけで、なんとなくその人の人生を感じることができるというか。
何はともあれ、キャストが本当に素晴らしい。女性陣は本当にグッジョブとしか言いようのない出来ですし、ティム・ロスの不思議な演技も笑えます。

 また、全編通してカントリーミュージック(?)が鳴り響き、ちょっと鳴りすぎかなぁ、と思わない事もないですが、聞いていて面白い。古き良き時代のアメリカ、というか、アメリカ独特の乾いた雰囲気を出すのに一役買っています。

 また、この映画、ふとした瞬間に映される、街の映像とその構図が非常に美しい。こういうのって、ホント、監督のセンスなんだろうなぁ…。
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by azuki-m | 2006-04-24 00:53 | ■映画感想文index

「三月のライオン」

f0033713_1283573.jpg監督:矢崎仁司
脚本:宮崎裕史、小野幸生、矢崎仁司
出演:趙方豪、由良宜子、奥村公延、斉藤晶子

 初めて書く邦画の感想文。
 しかしこちらもアップリンクの配給です。
 一時期、見る映画見る映画アップリンクが配給していて、映画の前に何度あのバッテン印を見たことか(笑)

 簡単に言うと、これは兄に本気で恋した妹のお話。




本編紹介文から(この文章がものすごく好きです):
兄と妹がいた。 妹は兄をとても愛していた。 いつか、兄の恋人になりたいと、心に願っていた。 ある日、兄が記憶を失った。 妹は、兄に恋人だと偽り、病院から連れ出した。 記憶喪失の兄は、恋人だという女と一緒に暮らし始めた。 そして、兄は恋人を愛した。 恋人の名はアイス。 氷の季節と花の季節の間に三月がある。 三月は、あらしの季節…

「愛があれば、しちゃいけないことなんて何もない」


 映画は、裸の妹がアイスをなめながら、部屋に一人でいる映像から始まります。その手にはなぜか銃。引き金を引いた後、倒れる妹。…こんな冒頭でしたから、私は、この映画はあまりいい結末になりそうにない、と思ったのですが。(今思えば、あれは一種の「生まれ変わり」を意味する場面だったのかしら)
 二人はもうすぐ壊されるんじゃないか、っていうボロボロのアパートで暮らし始めます。何もない、埃だらけの部屋。ゴミ捨て場から家具を調達し、家に持ち込む二人。まるでママゴトのような生活です。
 妹は、兄がいつ記憶を取り戻すかと心配でたまらない。偶然出会った老夫婦のように、いつまでも一緒にいられたらと望むのです。もし、兄が全てを思い出してしまったらどうなるのか。ですがいろんなきっかけから、兄は徐々に記憶を取り戻していく。
 やがて、兄は兄妹が兄妹として暮らしていた部屋に辿り着く。彼はその部屋で号泣するのです。記憶は戻り、彼は自分が妹を抱いたことを知りますが、時既に遅し。兄もまた、妹を愛するようになっていたのです。
 やがて、妹は兄の子供を生む。



 さて。
 上記のとおり、近親相姦を扱った作品なんですが、全体的に透明感があって、非常に美しい作品。壊れていく建物、散らかった部屋。ここに出てくる建物って、なんだかどれも壊れかけだったり、或いは壊されていたり、古かったりして、完全なものがほとんどありません。壊れかけていく何かは、兄妹の今を象徴したものなのだろうけど。二人のママゴトじみた愛情も、ゆっくりと生々しくなっていき、最後の方は貪るような感じでセックスに雪崩れ込んでいきます。

 それにしても、妹は兄に「アイス」と名乗っているのですが、彼女は常に棒付きアイスの入ったアイスボックスを持ち歩いたり、プレゼントの下着を街のど真ん中でいきなり履き替えてみたり(ホントに嬉しかったんだろうね…)、見知らぬ男とベッドに入ってみたり(兄の服を調達)、その行動が面白い。なんだかものすごく純粋な、子供のような女性です。子供を生んだとき、号泣したのは、嬉しかったからか、悲しかったからか、怖かったからなのか、ちょっとよく分かりませんが。

 「三月のライオン」というタイトルは、ヨーロッパの格言から取ったんだそうですが。この題名を聞いただけで、「見てみようかな」という気分にさせる、とてもセンスのいいタイトルだと、私は思っています(笑)。

 こちらも随分前に見た映画。
ですが、今でも場面場面が思い出せるというか、空虚でありながら、本当に美しく、どこか懐かしさを持った映像に仕上がっている映画。今のところ、邦画の中で、一番好きな作品かも。もう一回見たい…。
 一部では非常に評価されている映画なのですが、いかんせん、知っている人が少ないみたいです…。本当にいい映画なんだけどな。



蛇足ですが。
矢崎監督は、ベルギー王室主催のルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞をこの作品で受賞しているのですが、前年度は、デレク・ジャーマン(以下、DJ)の「エドワードⅡ」が受賞しているそうなのですよね。矢崎監督はDJを非常に尊敬していたらしく、この賞を取って、ものすごく嬉しかったそうです。で、一度DJと仕事をしたかったらしく、文化庁の海外派遣制度を使ってイギリスに留学されたとのこと。ですが、ロンドンに行った直前、DJが他界。
矢崎監督と、DJがタッグを組んだら、どんな作品が出来上がっていたのか。ものすごく残念でしょうないです。
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by azuki-m | 2006-04-17 01:34 | ■映画感想文index

「ラストデイズ」

f0033713_2231511.jpg監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ガス・ヴァン・サント
出演:マイケル・ピット、ルーカス・ハース、アーシア・アルジェント、ハーモニー・コリン

 ニルヴァーナのカート・コバーンに捧げられた映画。
 ですが、主人公の名前は「ブレイク」となり、映画の中でニルヴァーナの曲は使われていないそうです。…と、いっても、私はニルヴァーナについてほとんど何も知らないのですが。


 さて、どう書くべきか。
 非常に、感想の難しい映画です…。
 なんというか、いろいろな場面をそのまま映し、それを切り貼りし、映画という形にしたような感じです。事実、脚本はたったの11ページだったそうで。
 ニルヴァーナのカート・コバーンに捧げられた映画とありますが、彼の自殺の謎に迫った映画ではありません。なんというか、「ブレイク」の死の間際の二日間を淡々と追っていき、そこに映った映像をそのまま流しているというか。彼の死に理由があったのか、なかったのか、それすらもよく分からず、ただ最後に彼の死体(そして、抜け出していく彼の魂?)がぽんと放り投げだされる。

 映画は、ブレイクが薬のリハビリ施設を脱走し、森をさ迷うシーンから始まります。
 かなり遠いところにカメラが設置されているのか、彼の姿はとても小さい。
 森の中でさまよう彼を見て、なんだか「ポーラX」の森のシーンを思い出しました。撮り方は全然違いますが(なんで思い出したかというと、多分、私があの映画が大好きだからでしょうな:汗)。混乱や、迷路の中にいる(或いは入り込む)主人公を撮るのに、森はいい小道具なようです。
 森の中を横切る河を渡り、彼はようやく「こちら側」に来る(河のこちら側に設置されていたカメラに近づく)。小さかった彼が、ようやく画面にはっきりと映し出されます。それでも彼の全身がようやく画面いっぱいに映ったくらいで、顔までは映してくれません。

 ブレイクの顔を正面からアップで撮ったのは、死ぬ間際の画像くらい。後の映像はどこか遠くからとられたり、後姿だったり、髪で顔が隠れていたり、撮る角度のせいで表情が見えなかったりと、なかなかはっきりと映してくれません。だから、彼がどんな表情をしているのかは、今ひとつよく分からない。
 声はひどく曖昧で、半分夢の中にいるような、虚ろで小さな声で、ほとんど聞き取れませんでした。(字幕さん、ありがとう!)薬の影響かなんなのか、終始ぶつぶつ言ってるんだけど。彼がはっきり喋った(?)のは、歌うときだけじゃなかっただろうか。

 また、一つの映像を別視点で撮ったりと、見ている側としても混乱させられます。どんな意味があって、そんな撮り方をしているのかはちょっとよく分からないのですが、もしかすると、「問題を抱えている人がいるのに助けられない」(ガス・ヴァン・サントの言葉から)周囲の人を切り出して描いているのかもしれません。
 冒頭でも書きましたが、どこまでも淡々とした描き方。「エレファント」の流れを引き継いだ映画ですが、こちらのほうが更に「自然体」に近くなっているというか、なんというか。そのせいか、私の後ろにいた観客さんは寝てましたが(汗)。


 そして、「ブレイク」という人物は、なんだかとても不思議です。
 彼は大成功を収めたロック歌手という設定のようですが、本人はそれを「ただの客観」として捉えている。最初はよかったのかもしれないけれど、次第に自分の置かれている状況に戸惑いを覚えていったのです。
「絶えず誰かが訪れる」
 彼は一人になりたいのに、家にはいつも誰かが訪れる。居候達、電話帳売り、モルモン教の信者、探偵たち。そして、彼の周囲は様々な音が溢れ、気の休まる暇もない。
 そんな彼が逃げ込む場所は温室であったり、楽器であったり。夜中に彼が一人で歌う「Death to Birth」がなんだか悲痛。そして彼は温室で、たった一人で死んでいく。彼が死んだとしても、最期の瞬間に何をしたか、誰もわからない。
 カート・コバーンにインスパイアされて生まれた人物だということですが、リヴァー・フェニックスなど、別の誰かも連想させます。(ガス・ヴァン・サントは親友のリヴァーの死に大きな影響を受けたそうですし)

 人は最後に何を考えるのか。それとも、人が死ぬことに、いつもはっきりした理由があるんだろうかとか。
 人が死ぬということは、こんなにも単純であっけない事なのかもしれません。




 蛇足ですが。
 主役のマイケル・ピットが女装をしているシーンがあるのですが、それがあまりにエロティックでびっくりしました。男性が無理をして女性になろうとしているわけではなく、彼は彼のまま、女性の格好をしているのですよね。男性がぱっと黒いドレスを着る、それが全くグロテスクではなく、ある種の淫靡さを出すことに成功しています。マイケル・ピットは本当に男性的な、いい体格をしていますし、そんな人が女性のドレスを着ることに、違和感がないのもすごいのですが。…いやぁ、こういう、ちょっと倒錯的な映像をさらりと流してくれるガス・ヴァン・サント、グッジョブです。
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by azuki-m | 2006-04-13 02:32 | ■映画感想文index

「クラッシュ」

f0033713_23144225.jpg監督:ポール・ハギス
脚本:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ
出演:ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポジート、ウィリアム・フィクトナー

今年度アカデミー作品賞受賞作品。

 今更ですが、この映画の感想文なんかを。結構前に見たんですが(汗)。
 公開場所を広げるようなので、書いてみました。
 ロスの2日間に、同じ時間、異なった場所で、異なった人々が繰り広げる群像劇。
 登場するのは刑事たち、自動車強盗、地方検事とその妻、TVディレクター、鍵屋とその娘、雑貨屋の主人とその家族…など。

「みんな触れ合いたがってるんだ」

 確かこんな感じだったと思うのですが、そんな台詞から始まるこの映画。
 ロスアンジェルスという特殊な街で、人々は触れ合うことを忘れ、けれどどこかで繋がっていく。この映画の中では、そこに登場する彼らが係わり合い、触れ合い、「クラッシュ」するのは車が発端となっています。
 
 自動車を奪って売りさばくことで、日々の暮らしの糧を得る者、その自動車を奪われることで不安定になり、他者にヒステリックになる地方検事の妻、そんな妻を持て余す夫、自動車の中での悪戯がきっかけで、差別主義の警官に見つかり、屈辱的な扱いを受ける黒人のTVディレクター夫妻、そして自動車の事故がきっかけで、その差別主義の警官に助けられる妻。たまたま奪った自動車に、大量の密入国者が入っていて、彼らを解放してしまう自動車強盗、一方、ヒッチハイクをした自動車強盗の片割れと、彼を乗せた警官。
 それぞれの人種、さまざまな人々が混ざり合い、人々はそれぞれに不安を抱えて生きていく。
 群像劇の常として、そこにいるのは誰もが主役。絶対の善人もいなければ、絶対の悪人もいない。よかれと思ってしたことが、裏目に出てしまうこともある。或いはその逆であることも。
 「天使を見た」と泣くアラブ人の男性と、「おまえが悪いんだ。あの子を早く連れ戻してくれないから」と泣く、黒人警官の母親が印象的でした。どちらも悲嘆にくれながら、前者は希望を見出し、後者はその希望を絶たれてしまう。
 そして、最後に愛を確認するTVディレクター夫妻、子供を亡くさずに済んだ鍵屋の男、早とちりで人を殺してしまった若い警官。若い警官の、なんともいえない、絶望的な表情。誰もが、ちょっとしたきっかけで、自分の物語を喜劇にも悲劇にもしてしまう。


 さて。
 全体として、うまくできた映画だと思います。
 ただ、あまりに綺麗に収まりすぎているところが、私の気にいるところではなかったかな、と思います。群像劇の魅力は、そこに出てくる人々の感情のぶつかり合い、重なり合い、そしてそこから生まれてきたり、逆に何も生み出さない何かです。この映画は、非常によくできた脚本ではあるのですが、逆に言えば、あまりによく「できすぎている」。綺麗に整頓・合理化されすぎていて、次に何が来るのか、多少予想できてしまう。つまり、なんというか、人同士がクラッシュをしたとしても、人物の配置の仕方や設定などから、彼らの演じる役割が読めてしまい、クラッシュの結果が分かってしまうのですよね。
 どこにでもいるような、普通の人々が主役なので、しょうがないのかもしれません。また、この映画が人種問題を扱った社会派映画なので、単純にストーリーを楽しむ作品ではないということがあるのかもしれませんが…。
 前にも書いたと思うのですが、本当にいい映画です。いい映画なんだけどな。ただ、幸運にも人種差別を経験したことのない私には、想像はできても、いまひとつ感情移入できない映画ではありました。泣けるエピソードも結構あるんですが…。
 結局、私にとって、この映画のように綺麗に整理された映画は、それが何を描いているか、何を主題としているか、そのテーマに私自身が感情移入できるか、楽しめるか否かというところなのでしょうね。
 ま、そんな事は置いておいて。

 なんか上でケチをつけていますが、(ちょっと都合のいい展開があったりはしますが)脚本はやはりすごいのです。
 群像劇の魅力のひとつに、彼らの台詞があると思うのですが、この脚本も彼らの台詞一つ一つが素晴らしく、ずしっと重いです。こちらも名言集ができそう。
 そして、異なった人々、場面をうまく繋げた編集技術。ロスの二日間を追い、それぞれの人々がどこで何をしているのかを行く。どこかで泣いている人もいれば、どこかで笑っている人もいる。どこかで生きる人もいれば、どこかで殺される人もいる。そのギャップがなんだか残酷で、リアルでした。
 役者陣も奮闘しています。抑えた演技の中にも、彼らの内に見え隠れするどす黒い感情、そしてそれの突然の発露といった場面を、綺麗に演じていました。個人的には、マット・ディロンが気になりました。多分、彼が出ている作品を見るのはこれが初めてなのかな。

 人種差別、そしてアメリカの抱える問題について。
 ニュース等で「この映画はアメリカが抱える問題そのものだ」ってな言い方をしているのを聞いたのですが、そうなのでしょうか?アメリカだけに限定できる物語なのでしょうか?
 なんにしても、非常に興味深く、映画が持つテーマについて考えさせられる作品。
 前にも言いましたが(3月7日付けブログにて)、「ブロークバック・マウンテン」ではなく、この作品が作品賞を取ったのも頷けます。
 一度ご覧下さい。
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by azuki-m | 2006-04-09 23:20 | ■映画感想文index


「私は、断固たる楽天主義者なのです」
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