インサイド



司祭

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監督:アントニア・バード
脚本:ジミー・マクガヴァーン
出演:ライナス・ローチ、トム・ウィルキンソン、ロバート・カーライル、キャシー・タイソン



 ストーリーの構成が素晴らしい。
 さすが、ジミー・マクガヴァーン。彼の脚本による映画はその他にもありますが、この映画が一番好きです。

 ストーリーは、一人教会に座り込む司祭の映像から始まります。彼に何が起こったのか、この時点ではわかりませんが、彼は不意に顔を激情にゆがめ(このときの表情が最高!)、壁にかけられた十字架を取り外し、肩に担いで歩き出します。(このとき鳴り出す音楽がまたまた最高!)
 通りに出ると、子供たちが彼の名前を呼びながらかけよってきます。(司祭は子供にとって、親以上によき理解者であることがあるため)。しかし、司祭さんは全く表情を動かさず、何かに憑かれたように前を見ているだけです。バスから降りた後、十字架を背負いながら坂道を登る彼の映像は、キリストをイメージしたものでしょう。そしてリヴァプールにある、カソリックの本部に辿り着いた彼は、十字架を持ち直し、叫び声を上げながら、司教の館へと突っ込んでいく…。
 ぐしゃりと窓が割れる音がした後、真っ暗な画面に「PRIEST」の文字。…くうう、やってくれます。

乱暴に要約したストーリー:
司教館の窓に突っ込んだ司祭の後任として、若い司祭のグレッグ(ライナス・ローチ)がやってくる。しかし、若く理想主義者なグレッグは、先輩の司祭マシュー(トム・ウィルキンソン)とも、教区の住民ともうまくやっていくことができない。そんなとき、彼は女子高生リサ(クリスティ・トレマルコ)から「父親からレイプされている」という懺悔を聞く。告解の掟を破ることができないため、悩むグレッグ。彼女の父親を直接諫めても、彼は笑うだけで聞く耳を持たない。ストレスの余り、グレッグは司祭館を抜け出しゲイバーへ赴く。彼はゲイだった。そこで知り合ったグラハム(ロバート・カーライル)と、彼は関係を続けるようになるが、やがてそれはあるきっかけで人の知るところとなり…。


 ゲイの司祭が主役ということで、ローマから映画公開中止を求める声があったそうですが(いつものことですね)、それだけには収まらない、純然たる社会派映画。キリスト教や当時のリヴァプールの問題を絡めつつ、100分という範囲で、見事な映画に仕上げています。

 リサから、父親からレイプされていることを懺悔されますが、司祭の掟で、グレッグはそれを他の人に話すことはできません。また、自身の、聖書で禁じられながらも男性と行為をしてしまうことを、彼はとても悩んでいます。
 しかし、既に引退した司祭(窓に突っ込んだ人)から、「司祭をやめろ。愛する人と、幸せになれ」といわれても、彼はそれを拒否する。なぜなら、彼は自分の司祭としての運命を知っているからです。「神がそれを望んでいる」。だから、彼は司祭をやめるわけにはいかないのです。
それでも、彼の苦悩とは別に、リサへの性的虐待は続いています。告解の誓いのため、児童相談所に言うわけにもいかず、彼は自分の無力さと、神への苛立ちを募らせることになります。

「あんたはなんだってできるのに、一人の少女を助けてくれないのか」
「なんとか言ってくれ!」

 しかし、彼が壁にかけられたキリストに泣きながら文句を言い、祈りを捧げる間、リサは父親にレイプされそうになっているところを母親に助けられます。
 彼の願いは神に届いたのか、届かなかったのか。
 グレッグが神に対して言う文句は、キリスト教に関わる人なら、誰しも一度は持つ疑問なんじゃないかな、と思います。ただ、彼はそこまでの状態になったことがなかったんでしょうね。グラハムとの会話の中で、「学校の講義の中で、ワインの中に毒が入っていたらどうするかというのがあった。あの時の自分は、飲み干すと答えた。だが、今は…」と、自身の信仰に対して、迷いを見せています。しかし、それでも彼は自身の信仰を捨てることはできない。

 新聞によってゲイであることを書き立てられ、辺鄙な教区に飛ばされた後も、彼の信仰への態度は変わりません。変わったのは、グラハムへの愛を認めることができるようになったということ。ですが、彼の中でそれは罪であることに変わりはない。聖書で認められていないからです。
そして、彼は「愛が否定される世の中は間違っている」と呻くマシューを笑うのです。「あなたは他人でしかないが、僕は当事者だ」と。この先輩司祭は間違ってはいないのですが、時折偽善的な態度がちらつくことがあり、グレッグはそれを痛烈に皮肉ったわけです。

 マシューと二人で行ったミサも、彼の存在に信徒は驚き、教会を出て行ってしまいます。暴言を投げかける彼らに、グレッグは「罪なき者から石を投げよ」といいますが、彼らは聞く耳を持ちません(ただ、この辺は後から見返すとなんとも…。聖書を説くはずの司祭が真っ先に教えを破ってたら、信徒たちもそんな司祭は信じられないよね:汗)最後の聖体拝領で、グレッグの列には誰も並びませんでした。しかし、虚ろな目をしたリサがゆっくりと立ち上がり、一人彼の前へ歩み、彼の手からキリストの肉を受け取るのです。そして次第に顔を歪めて泣き出し、彼女にしがみつくグレッグ。
 結局、罪は、罪を犯した者しか理解することはできず、その罪を許すこともできないのかもしれませんね。
 二人の抱き合う姿に、最後はただただ涙。ティッシュ一箱使いきるかと思いました…。ご飯食べながら見てたんだけど(汗)


 この映画は、私はゲイというセクシャリティの問題を主軸にはとらえませんでした。どちらかといえば、キリスト教における「司祭」という存在が主軸かな。作中でも、問題になっているのは「彼がゲイである」ということより、「司祭である彼がゲイである」ことの方に重点が置かれている気がします。勿論、当時のイギリス(1990年前半)ではセクション28(同性愛をそれに関する出版などで助長してはならないとする法律)も存在しましたし、同性愛が嫌悪される対象ではあったのですが。

 作中には、グレッグとグラハムのセックスシーンがありますが、女性の監督がとったせいか、私が今まで見た男性同士のラブシーンで、一番セクシーというか、ロマンチックに撮ってあります。かなり濃厚ではありますが、美しいシーン。

 また、脚本家のマクガヴァーンはイギリスでは人気脚本家の一人で、この映画を撮った後、ハリウッドからもお誘いがあったらしいのですが、「飛行機が怖くてアメリカに行けない」のだとか(笑)うーん。見たいんですけど…。マクガヴァーン作どろどろ心理映画を、ぜひともハリウッドで(心理探偵フィッツも真っ青なやつを!)。しかし、やっぱり彼の作品はイギリスならではなのでしょうかね…。

 役者陣も奮闘しています。ロバート・カーライルが出てるのにまずびっくりしました。しかもこんな繊細な役をやってくださるとは。彼とライナス・ローチが絡むシーンも自然でいいんですよー。カーライルはどうも私の中では「フル・モンティ」のイメージが強すぎて困ります(笑)そして、この映画の私的最大の収穫はといえば、トム・ウィルキンソンでしょうか。ハリウッドやいろんな映画に出ているのを見ると嬉しい…。名脇役の一人です。


 蛇足ですが、舞台であるリヴァプールはマクガヴァーンの故郷。そして彼はサッカーチーム「リヴァプール」のファンらしく、その応援歌が映画中に流れてるんだとか…。ほ、ホンマかいな。

 さらにさらに蛇足(汗)
 以前、私の好きな映画を見たいというモト彼の要望にお答えして、この映画を勧めたのですが、感想をどう言っていいのか分からなかったらしい・・・。
 だって……本当に見るとは思わなかったんだもん…。


☆ベルリン映画祭の国際批評家連盟賞受賞。
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by azuki-m | 2006-02-05 04:23 | ■映画感想文index
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