インサイド



ファザー、サン

f0033713_320791.jpg監督:アレクサンドル・ソクーロフ
脚本:セルゲイ・ポテパーロフ
音楽:アンドレイ・シグレ
出演:アンドレイ・シチェティーニン 、アレクセイ・ネイミシェフ 、アレクサンドル・ラズバシ 、マリーナ・ザスーヒナ 、フョードル・ラヴロフ

 ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の作品。
 これは、ソクーロフによる、家族を扱った三部作の内、「マザー、サン」に続く第二作目にあたる作品です。
 舞台がどこの街で、いつごろの話なのかも分からず、画面全体のかかるオレンジや茶色、白の光とも重なって、非常に幻想的で美しい映像が全編にわたって流れていきます。
 これはその中で描かれる、親密すぎる父と息子の物語。


 この映画は、評論家の方々から、「ゲイの映画と見ていいのか」という質問があったそうです。確かに、そう見えてしまうほど、二人の男性―たった20歳しか違わない父子の距離が、非常に近い。母親と子供が自分達の境界が分からなくなり、異常な執着心で結びついていく、というのはよくある話ですが、「父と息子」がここまで親密になるという設定はちょっと珍しい。(母親が無償の愛を与える存在なら、父親の愛情はギブ&テイク。子供が何らかの責務を果たしてから、ようやく注がれる愛情なのです。父は子を導く存在であり、子に愛を与えることが本務ではないのかもしれません)なので、こうした父と息子が不自然に結びつく場合、父は息子に過去の自分を重ねているケースが多いのですが、この「ファザー、サン」の場合はそうではないようです。彼ら二人の執着、繋がり、依存。父は息子にたった一人愛した女性、即ち亡くなった妻の面影を息子の中に見て、それを「神の恵み」と捉えていますが、息子は父をどう見ていたのか。しかしそれはともかく、彼らがあまりに近すぎて、一種の近親相姦的な見方もできてしまう。


 映画は、悪夢にうなされる息子が父に助けられるシーンから始まります。
 歪んだ画面に浮かぶ、二つの肉体。息子は始終、悪夢に苦しめられていました。その悪夢から助け出してくれるのは父であり、しかし彼は夢の中では一人です。そして、夢の中では父を殺しかけることもある。
 互いのいない生活は考えられず、退役軍人である父は職を望みながら、家から出ることはできません。
 また、彼は肺に問題を抱えていました。しかしその肺のレントゲン写真を見て、「父の肖像画だ」と言う息子。「少しばかり露出の多い」レントゲン写真を、彼は部屋に飾っていました。
(しかし、このレントゲン写真…随分綺麗に見えるんですが…。父親は本当に病気に罹ってたのかしら?)なんだかこの辺り、息子の父に対するものすごい執着が見えて、ぞくぞくします。

 「何故こんなにも違うんだろう」
 父親の顔に触れながら、息子が言う台詞です。
 息子は父のような男になりたいのかもしれず、しかし彼は父になることができない。息子が顔に触れる間、父はわずかに顔を背けます。

 しかしそんな生活に、突如、父の友人の息子だという青年が尋ねてきます。失踪した自分の父の足跡を求めて、青年は父子を訪ねたのです。しかし、息子はそれが面白くありません。
 父のレントゲン写真を相手に見せ付け、激しい口論の後、彼はその青年と共に街を歩きます。 この時の、オレンジかかった街の美しいこと。そして、同世代の青年と時間を共にし、息子はあることに気付いていきます。「父は息子に全てを与え、孤独に死ぬ。」
 そして、やがては自分も「父」になるのだと気付く息子。父と自分は違う存在であり、そして同じものである。別れた彼女と完全に決別し、家に戻った息子は、父を退け、「家から出て行く」と、父から離れることを選ぶのです。
 そして、それを受け入れざるを得ない父。「一人になるな」と呟く父に、息子は「一人じゃないさ。再婚しろよ」と言うのです。
 最後、今度は父が夢の中、一人で雪の降る屋上に出て、息子の「そこに僕はいる?」という問いかけに、「いいや、私一人だ」と答えます。
 これでようやく二人は分離したのかもしれません。



 「父の愛は十字架にかけること、息子の愛は十字架にかけられること」
 この台詞は映画の中で息子が言う言葉ですが、元は聖フィラレットの言葉から、だそうで。この映画全編にある、「父と子」(キリスト教における「父と子」でもある)のストーリーを集約した言葉でもあります。ソクーロフは、近親者への愛を非常に重要視していて、その愛には制限がないものと捉えているようです。ただ、これほどの強い結びつきが「一種の御伽話」であることは、ソクーロフも言っていますが。

 そして、何度も言いましたが、映像が非常に美しい…。
 人物の撮り方から風景に至るまで。息子とその彼女が、窓を挟んで話し合うシーンは、魅惑的で、非常に妖しいムードがあります。そして息子と父が見詰め合う時の緊張感。
 古い建物(撮影場所はポルトガルだそうです)が立ち並ぶ海の見える街、赤い夕日、そして全体を覆うオレンジ色の光。映像にはオレンジがかったようなものが多く、父と息子の顔も、オレンジ色の光があてられて、輪郭がちょっとぼやけています。

 また、劇中に使われる音楽。これはソクーロフ作品の特徴なのかもしれないですが、効果音に不協和音を入れたり、雑音を入れたり、突然クラシック音楽を入れたり、沈黙の時間が結構少ないように思います。あまりの不協和音に、ちょっと眉を寄せたことも(汗)。そして、作中流れる、チャイコフスキーをどう考えればいいのか(苦笑)。単にその曲がその場面に相応しいから使ってると思うんですが、…まぁ、そこまで深読みすることはないとは思いますが。「チャイコフスキー、好き?」息子は父にそう聞きます。

 ソクーロフのポリシーにより、出演者は主役二人は素人を起用。しかし、全ての出演者に雰囲気があって、映像にものすごく合っています。メイク、衣装、カメラ、キャスティング…スタッフ一同、グッジョブです。ただちょっと、息子役のアレクセイ。…声がすんごい太いですね(汗)。演技もちょっと苦しかったけど(汗)。そして、出演者の名前と役名は一緒のようです(リョーシャ、或いはリョーシェンカとはアレクセイの一般的な愛称(隣人のおばさんが言うリョーシェンカだと、リョーシャちゃん、みたいな甘ったるい言い方になるのかな)、サーシャとはアレクサンドルの一般的な愛称)。


 私はこの監督の作品を見るのは初めてだったのですが、…もう、何から言っていいのやら。
映像がとにかく美しく、その他の演出、撮り方、…ものすごく私好みで、どうしようかと思いました。
 ですが、見たときに体調が悪かったこともあって、細部であやふやなところがあるので、もう一回見に行こうと思います。
 京都では夏に公開予定とのことなので、そこまで待つかな…。(京都の映画館の方が、家から行きやすいのです)


 蛇足ですが。
 …なぜか出演者が上半身裸のことが多いこの映画。
 父親(多分、40歳くらい)役のアンドレイが、ものすごく逞しい…。息子(軍隊の訓練生?という設定)も逞しいのですが、そんな二人が脱ぐシーンが多いんで…。多分、父と息子の肉体も重視しているからだと思うのですが、それは男としての二人を撮っているのか、「父と息子」の肉の繋がりを意味しているのか(父の肉体より、息子は生まれる)。夢の中で裸なのは、「夢」という中で何もかもを取っ払った真っ白な姿が「裸」ということになるからなんだろうけど。
 「日陽はしづかに発酵し…」でも思ったことですが、アレクサンドル・ソクーロフ、「肉体」の撮り方が素っ気無いようでいて丁寧に撮ってますね。肉体に固執しているわけではないんだけど、単なる小道具としては扱っていないというか。ほのかなエロティシズムが最高です。
にしても、本当に、父親役の人がセクシーですね…。これで素人って、どうよ。
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by azuki-m | 2006-06-11 04:00 | ■映画感想文index
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